ニトリ創業者・似鳥昭雄はどんな人?23歳で創業し一代で1000店舗を築いた波乱万丈の経歴

「お、ねだん以上。ニトリ」のキャッチコピーで知られる家具・インテリアチェーン「ニトリ」。その創業者で、現在もニトリホールディングスの代表取締役会長兼CEOを務めているのが似鳥昭雄さんです。樺太生まれ、就職先を半年でクビになり、就活では約10社に断られるなど、決して恵まれたスタートではありませんでした。そんな”劣等生”が一代で国内外に約1,060店舗を構える巨大チェーンを築き上げた道のりとは? この記事では似鳥さんの経歴と経営哲学をまとめて紹介します。

似鳥昭雄の経歴は? 樺太生まれから23歳での創業まで

似鳥昭雄さんは1944年3月5日、当時日本の領土だった樺太(現・サハリン)で生まれました。終戦後に一家で北海道へ引き揚げ、その後は札幌市で育ちます。

1962年に北海道工業高等学校(現・北海道科学大学高等学校)を卒業。いったん札幌短期大学に入学後、北海学園大学へ編入し、1966年に経済学部を卒業しました。大学卒業後は広告会社に入社しますが、取引先との雑談もままならず、1件の契約も取れないまま半年で解雇されてしまいます。その後の就職活動でも約10社から断られたといい、本人は「どん底だった」と当時を振り返っています。

そんな似鳥さんを変えたのは父親の言葉でした。「お前みたいな人間が生きていく方法は二つある。人の3倍働くか、人がやらないことをやるかだ」。似鳥さんは自分の街を見回し、「ここには家具屋がない。じゃあやるか」と決意。1967年12月、23歳のときに札幌市内に「似鳥家具店」を開業しました。これがニトリの原点です。

アメリカ視察でつかんだ「日本の暮らしを豊かにする」というロマン

創業から4年後の1971年、似鳥さんは道内初の郊外大型店(250坪)を2号店として出店しますが、売上は伸びず多額の借金を抱えてしまいます。倒産寸前の危機の中、親戚から40万円を借りて参加したのが1972年のアメリカ・ロサンゼルスへの家具業界視察ツアーでした。

そこで似鳥さんが目にしたのは、日本の3分の1ほどの価格で品質・品ぞろえともに優れた家具が並ぶ光景でした。「こんな国と戦争したら負けるはずだ」と直感し、「日本人の暮らしをアメリカのように豊かにしたい」という大きなビジョンが芽生えます。これが「欧米並みの住まいの豊かさを日本の人々に提供する」というニトリの経営理念の原点です。

帰国後の似鳥さんは、チェーンストア経営のコンサルタントだった故・渥美俊一氏が主宰する「ペガサスクラブ」に入り、経営を1から学び直します。1978年に札幌でチェーン化を宣言し、1989年に札幌証券取引所へ上場。1993年に本州へ進出、2002年には東証一部上場を果たしました。

「お、ねだん以上。」を支えるSPAモデルとは?

ニトリの強みは、商品の企画・製造から物流・販売まで一貫して自社で手がける「製造物流小売業(SPA)」のビジネスモデルにあります。1994年にインドネシアに家具工場を、2004年にはベトナムに工場を設立し、商品の約85%を海外で自社開発・自社輸入する体制を確立しました。

似鳥さん自身、「ニトリは単なる小売業ではなく、商品をつくる会社」と繰り返し語っています。この体制こそが、「お、ねだん以上。」というキャッチコピーで表現される高品質・低価格を実現させた根拠です。2020年には時価総額2兆円を突破し、36期連続増収増益という日本の上場企業史上最長記録も達成しました。

ただし、2022年以降の急激な円安がSPAモデルを揺るがし、2024年3月期には記録が途絶えました。同年2月、似鳥さんは会長職を維持しながらニトリの代表取締役社長にも復帰。自ら陣頭指揮を執り、再建に動いています。

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74歳でADHDと診断。「発達障害だからこそ成功できた」

似鳥さんについて語る上で欠かせないのが、2018年頃に発達障害(ADHD)であると診断されたエピソードです。テレビでADHDを特集する番組を見ていた際、その特徴が自分にぴったり当てはまることに気づき、医師に診断を受けました。「小学6年生まで自分の名前を漢字で書けなかった」「眼鏡を100個買い直した」「先生の話を3分も聞けなかった」——長年感じていた困難の理由がひとつながりになる体験だったといいます。

診断を受けた時の心境を、似鳥さんは「ショックや驚きはなく、しっくりきた。これまでの困難の答え合わせができた気分だった」と語っています。マイナス面が注目されがちな発達障害について、「人の2倍・3倍旺盛な好奇心が積極性につながった。発達障害に生まれてよかった」と前向きに語る姿は多くの人に勇気を与えています。2026年3月には、自身の半生と発達障害との向き合い方をつづった著書『発達障害の私だからこそ、成功できた』(祥伝社)を刊行しました。

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まとめ:挫折続きの「劣等生」が日本一の家具王になれた理由

似鳥昭雄さんの経歴と経営哲学をまとめます。

1944年樺太生まれ。就職失敗・10社以上に断られる苦境を経て、1967年23歳で「似鳥家具店」を創業しました。1972年のアメリカ視察で「欧米並みの住まいの豊かさを日本に届ける」というロマンを確立し、企画・製造・物流・販売を一貫して手がけるSPAモデルで36期連続増収増益という日本記録を達成。74歳でADHDと診断されてからは、自身の特性を「強みの源」として公言し、発達障害当事者への希望の発信にも積極的です。

「大きな志を持って努力すれば誰でも成功できる」。この言葉が示す通り、「できないことだらけ」だった一人の若者が、50年以上かけて日本を代表する企業を築き上げた物語は、今も多くの人の背中を押し続けています。

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