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泉ピン子、橋田壽賀子さんとの別れを告白|「渡鬼ファミリー」への複雑な思いとは

女優の泉ピン子(78)が、自身の著書『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店)の中で、「ママ」と慕い続けた脚本家・橋田壽賀子さんとの最期の日々、そして死後に感じた寂しさについて率直な思いをつづっている。文春オンラインが報じた書籍からの抜粋がネット上でも大きな反響を呼んでいる。長年”実の親子”のような関係を築いてきた2人の絆と、当時の心境が本人の言葉で語られた内容だ。

  • 泉ピン子が著書で”ママ”橋田壽賀子さんとの最期の別れをつづる
  • 橋田さんの死後、一周忌・三回忌を主催し、遺骨を海に散骨したことを明かす
  • 『渡る世間は鬼ばかり』出演者から葬儀に花が来なかったことへの悲しみを告白
  • 橋田さんの生前の遺志として「葬儀は行わない」との報道もあり、ネットの受け止めは分かれている

泉ピン子が明かした、”ママ”との最期の別れ

泉ピン子さんは著書の中で、橋田壽賀子さんが亡くなる直前の様子を振り返っている。危ないと聞いて駆けつけ「ママ、あたし!」と声をかけると、橋田さんがこちらを向いてくれたといい、それが最期の記憬になったという。その間、ずっと橋田さんの足をさすっていたと当時を振り返っている。

橋田さんの自宅には、泉さんが長年書き続けた手紙が100通以上残されていたという。宛名は最初「橋田壽賀子先生へ」だったが、いつしか「ママへ」に変わっていったといい、本人は「まるで本当の親子だと感じている」とつづっている。一方で、橋田さんからの手紙はほとんど自分で処分してしまったといい、こうした細部からも、2人の関係が単なる仕事上の師弟にとどまらないものだったことがうかがえる。

「渡る世間は鬼ばかり」は1990年の放送開始から約30年にわたり、幾度もシリーズ化された国民的ホームドラマだ。橋田さんが脚本を手がけ、泉さんが主演を務めるという座組みは長年変わらず続き、単なる仕事上のパートナーというより、二人三脚で作品を育て上げてきた間柄だったといえる。だからこそ、泉さんにとって橋田さんは特別な存在であり、「先生」から「ママ」へと呼び方が変わっていった過程そのものが、2人の関係の深まりを象徴しているのだろう。

一周忌・三回忌、そして海への散骨という選択

橋田さんは2021年4月に95歳で亡くなった。泉さんによると、その後の一周忌・三回忌は自身が主催し、遺骨も譲り受けたという。同年6月には客船「飛鳥」に乗り、瀬戸内海と熱海沖で散骨を行ったことも明かしている。9月には橋田さんの遺品である腕時計を持ってお墓参りをし、あわせて女優・杉村春子さんの墓も掃除したと振り返っている。

杉村春子さんは橋田さんが生前深く敬愛していた大女優であり、泉さんにとっても縁の深い存在だ。橋田さんの供養だけでなく、杉村さんの墓の手入れまで続けてきたという事実からは、泉さんが「渡る世間は鬼ばかり」という作品と、そこに関わった人々への敬意を、形を変えて長く持ち続けてきたことがうかがえる。

しかし、この散骨をめぐっては週刊誌などで事実と異なる報じられ方をされたこともあり、泉さんは「悲しかった」と当時の心境をつづっている。故人を悼む個人的な行為が、外部からさまざまな臆測とともに報じられてしまうことへの複雑な思いがにじむ記述となっている。

散骨という選択自体、近年は「自然に還りたい」という故人の意向を尊重する形で選ばれるケースが増えている弔い方のひとつだ。橋田さんが好んだという瀬戸内海や、晩年を過ごした熱海の海に骨をまくという行為には、単なる形式を超えた泉さんなりの深い想いが込められていたと考えられる。それだけに、事実と異なる報じられ方をされたことへの落胆は大きかったようだ。

橋田壽賀子さんのプロフィールと代表作

橋田壽賀子さんは、「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」など数々の国民的ドラマを手がけた脚本家。1925年生まれで、2021年4月4日、急性リンパ腫のため95歳で死去した。「渡る世間は鬼ばかり」は1990年から放送され、泉ピン子さんが主演を務める国民的ホームドラマとして長年愛された作品であり、橋田さんと泉さんは作品を通じて長年二人三脚の関係を築いてきた。

橋田さんは晩年、終活にも積極的に取り組んでいたことで知られ、自身の財団を通じて遺産を活用する仕組みを整えるなど、最期のあり方についても自らの考えを持って準備を進めていた人物だった。生前から「自分の死は大きく取り上げてほしくない」という趣旨の発言を繰り返しており、これは晩年のインタビューでもたびたび語られてきた一貫した姿勢だった。

「花ひとつ来なかった」渡鬼ファミリーへの思い

著書の中で泉さんが「一番悲しかった」と語っているのが、橋田さんの葬儀の際、「渡る世間は鬼ばかり」で共演したメンバーの誰からも花が届かなかったことだという。泉さんによれば、対応した住職も驚き、「あれだけお世話になったのに」と憤っていたと振り返っている。杉村春子さんの命日にお墓参りに行った際も、所属していた劇団・文学座から花が届かなかったといい、「人は死んだら忘れられるものだと痛感した」という趣旨の心境をつづっている。

それでも救いになったのは、橋田さんが生前教えてくれた「天知る、地知る、吾知る」という言葉だったという。天が見ている、地が見ている、そして自分自身が一番分かっている、という意味のこの言葉を胸に、人に何と言われようと気にせず筋を通して生きることの大切さを、橋田さんから学んだと振り返っている。

橋田さんはかつて泉さんに、「渡る世間も会社も呉越同舟、好きな人だけに囲まれるわけではない。だからこそ筋だけは通して生きなさい」という趣旨の言葉を伝えていたという。人間関係の距離感や、周囲の評価に振り回されない生き方を教えてくれたのが橋田さんだったといい、コロナ禍のさなか、熱海の自宅からの景色を眺めながら、「あのとき移り住んで良かった」と心から思ったと振り返っている。最後まで一緒にいたのは誰だったのかということこそがすべてだと、泉さんは著書の中で結んでいる。

橋田さん自身の遺志をめぐる報道との整合性

一方で、橋田さんの死去当時の報道を振り返ると、別の側面も見えてくる。橋田文化財団は当時、「葬儀・告別式、お別れ会も故人の遺志により行わない」と発表しており、橋田さん自身が生前から「葬式や偲ぶ会は行わず、死んだことを大々的に知らせないでほしい」と周囲に語っていたことが複数のメディアで報じられている。実際、通夜・告別式は行われず、近親者のみで火葬が行われたとされる。

この経緯を踏まえると、そもそも家族葬に近い形で静かに見送られたのであれば、外部から花や弔問が届きにくい状況だった可能性もある。ネット上でもこの点を指摘し、「本人が望んだ形だったのなら、花が来なかったこと自体は不自然ではないのでは」という声が上がっている。故人を偲ぶ気持ちの表し方は人それぞれであり、供花の有無だけで人間関係の深さを測ることは難しい、という冷静な見方も少なくない。

えなりかずきさんとの関係について

「渡る世間は鬼ばかり」で泉さんと約30年にわたり親子役を演じてきたえなりかずきさんについても触れておきたい。2011年のレギュラー放送終了以降、2人が同じ場面で共演する機会がなくなるなど、公にはある種の距離が生じていると報じられてきた経緯がある。背景については複数の週刊誌等でさまざまな見方が伝えられているが、いずれも関係者の発言をもとにした報道の域を出るものではなく、真相の詳細は明らかになっていない。長年親子役を務めてきたコンビだけに、共演が減ったことを寂しく感じていた視聴者は多い。

ネットの声:受け止め方は大きく分かれた

今回の告白を受け、ネット上の反応は一枚岩ではなかった。橋田さんとの絆の深さや、100通を超える手紙のエピソードに触れ、「本当の家族のような関係だったのだろう」「最期まで寄り添っていたのは事実として重い」と、泉さんの心情に共感する声が多く見られた。渡鬼ファミリーの人情味を伝えるエピソードとして、共演者だった植草克哉さんが、共演がきっかけで京唄子さんから本当の家族のように可愛がられたという話を挙げ、「こうした関係こそが本当の”ファミリー”では」と感慨を寄せる声もあった。

一方で、橋田文化財団が生前の本人の意向として「葬儀・告別式は行わない」と発表していた経緯を挙げ、「静かに見送る形が本人の望みだったなら、外部から花を送ること自体が難しかったのでは」と事実関係を補足する声も目立った。俳優の岸本加世子さんが当時、直接お別れができなかった旨をSNSで投稿していたと伝えられていることを踏まえ、「渡鬼ファミリーが冷たかったというより、そもそも弔問や供花の機会自体が用意されていなかった可能性がある」という指摘も見られた。

そのほか、「橋田さんはもう自分の言葉で語ることができない立場にあるため、故人の意向を代弁する形での発言には慎重であってほしい」という意見や、「泉さんの発言はメディアで度々話題になるが、率直な物言いが時に誤解を招くこともあるのでは」という指摘もあった。コロナ禍以降、家族葬が増えて弔問や供花の機会自体が減っている社会全体の変化を挙げ、「故人を偲びたくても、その機会がない時代になった」と時代の変化を惜しむ声も見られた。全体として、泉さんの悲しみそのものには理解を示しつつも、事実関係については冷静な検証を求める声が多かったのが今回の特徴といえそうだ。

泉ピン子という女優の歩み

泉ピン子さんは1947年生まれ、東京都出身。歌手活動を経て女優に転身し、1990年放送開始の「渡る世間は鬼ばかり」で主演を務め、以後も同シリーズの顔として長年親しまれてきた。バラエティ番組でも独特の存在感を放ち、率直な物言いが持ち味として知られる一方、今回の著書のように、胸の内をありのままにつづる機会も度々設けてきた。

78歳となった今も精力的に活動を続けており、著書のタイトルにもあるように、自身の”最後”についても前向きに、そして率直に語る姿勢を貫いている。今回の橋田さんとのエピソードも、そうした人生観の延長線上にある告白といえるだろう。

まとめ:それぞれの”弔い方”をめぐる複雑な思い

泉ピン子さんが著書でつづった橋田壽賀子さんとの思い出は、約30年にわたる”渡る世間は鬼ばかり”というドラマを超えた、家族同然の絆の記録といえる。同時に、橋田さん自身が生前「葬儀は行わない」という意向を示していたと報じられている経緯もあり、供花が届かなかったことをどう受け止めるかは、立場によって見方が分かれる難しいテーマでもある。故人を偲ぶ形に唯一の正解はなく、それぞれが自分なりの方法で”ママ”を思い続けているということだけは確かだろう。泉さんは今も熱海の海と雲を見ながら、橋田さんとの日々を胸に生きているという。

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