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泉秀樹の歴史を歩く|平賀源内は何をした人?エレキテル・物産会・火浣布を時系列解説【11月8日】|11/8 5:30

2026年11月8日(日)午前5時30分から、J:COM BSで「泉秀樹の歴史を歩く ▽平賀源内 時代を先取りした天才」が放送されます。

今回取り上げられる平賀源内は、エレキテルを復元した人物として知られていますが、実際には本草学、物産会、火浣布、鉱山開発、戯作、絵画など幅広い分野で活動しました。ひとつの肩書きでは説明できない生涯を、出来事の順にたどります。

放送日時と今回のテーマ

項目内容
放送日時2026年11月8日(日)5:30~6:30
放送局J:COM BS(BS260ch)
番組名泉秀樹の歴史を歩く
今回のテーマ平賀源内 時代を先取りした天才
出演泉秀樹

J:COM BSの番組表では、今回のテーマを「平賀源内 時代を先取りした天才」と紹介しています。番組紹介には、日本に存在しなかった新しいものをジャンルを問わず作り出した人物であり、「イノベーションの源流」「非常の人」といった表現が使われています。

J:COMの番組公式ページは、作家・泉秀樹が歴史の現場を探訪し、人や事件を独自の視点で解析する番組として案内しています。今回の平賀源内回も、発明品ひとつだけでなく、時代の中でどのように新しい仕事を生み出したのかが見どころになりそうです。

平賀源内は何をした人?エレキテル以外の功績

平賀源内は、江戸時代中期に活動した本草学者、発明家、戯作者、事業家です。国立国会図書館は、源内を蘭学を取り入れた人物の一人として紹介し、西洋の学術を広く世に役立てようとしたこと、薬品会・物産会、火浣布、エレキテルの復元などを同じ流れの活動として説明しています。

本草学と物産会で日本の産物を調べる

本草学は、動物・植物・鉱物などを観察し、薬用を含めた性質や利用法を調べる学問です。源内は薬草や鉱物を研究するだけでなく、各地の産物を集め、知識を交換する場をつくりました。

名古屋刀剣博物館の解説によると、源内は医師・本草学者の田村藍水に弟子入りし、江戸の湯島で物産博覧会を開催しました。薬用の動植物や鉱物を国内で自給するための知識交換が目的で、薬用素材以外の産物も集まったとされています。

360種をまとめた『物類品隲』

物産会で集めた品々は、展示して終わりではありませんでした。源内は出品物から360種を選び、解説を加えた『物類品隲』を1763年(宝暦13年)に刊行しています。

国立国会図書館の資料紹介によれば、『物類品隲』は源内が師の田村藍水と協力して開催した物産会の出品物を分類して紹介した書物です。品物の名前や特徴を整理し、海外の知識も参照している点に、源内の調査・編集者としての側面が表れています。

平賀源内の生涯を年表で整理

1728年~1754年:讃岐で学び、長崎を経て江戸へ

源内は1728年(享保13年)、讃岐国、現在の香川県に生まれました。名古屋刀剣博物館の解説では、10歳ごろから本草学と儒学を学び、1749年(寛延2年)に父の跡を継いで高松藩に仕えたとされています。

高松藩5代藩主の松平頼恭に才能を認められ、長崎への遊学を許されました。長崎では西洋の学問や文化に触れ、帰国後は藩の薬園の仕事にも携わります。

しかし、学びたい気持ちは強く、1754年(宝暦4年)に高松藩の仕事を辞め、江戸へ向かいました。

1757年~1765年:物産会、著作、火浣布

江戸では田村藍水とともに物産会を開き、1763年には『物類品隲』を刊行します。同じ時期に、戯作『根南志具佐』『風流志道軒伝』なども発表しました。

さらに源内は、秩父で見つかった石綿を使い、燃えにくい布として知られる火浣布を製作しました。国立国会図書館には、源内が火浣布の製作について説明した『火浣布略説』が所蔵されています。

物産の研究を、実際の素材加工や製品づくりへ結びつけていたことが分かります。

1770年~1776年:資源開発とエレキテルの復元

1770年(明和7年)には、老中・田沼意次の意向を受けて2度目の長崎遊学をしました。その後も秩父の鉄山開発、炭焼き、荒川の通船計画、陶器の海外輸出など、資源や産業に関わる計画を進めます。

そして1776年(安永5年)、源内はエレキテルの復元に成功しました。文化庁の文化遺産データベースによると、源内は長崎で壊れたエレキテルに関心を持ち、江戸へ持ち帰って約6年をかけて摩擦起電機を製作したとされています。

1779年:獄中で迎えた最期

源内は1779年(安永8年)、大名屋敷の修理をめぐる誤解から大工を殺傷し、投獄された後に獄中で亡くなりました。国立国会図書館は、親友の杉田玄白が源内を「非常の人」と呼び、その死を惜しんだことを紹介しています。

多方面で新しい試みを続けた人物である一方、事業の失敗や人間関係の行き違いもありました。華やかな発明の実績だけでなく、晩年の出来事まで含めて見ると、源内の生涯は単純な成功物語ではなかったことが分かります。

エレキテルとは?源内が発明したのか復元したのか

エレキテルは、摩擦によって静電気を発生させる装置です。文化庁の文化遺産データベースは、欧州から伝わった器具をもとに、平賀源内が自力で製作に成功したものと説明しています。

ここで押さえておきたいのは、源内がゼロから電気の原理を発見したという意味での「発明」ではなく、海外から伝わった壊れた器具の仕組みを調べ、日本で再現したという点です。文化庁の資料では、源内が約6年かけて1776年に数台を作り出したと記されています。

エレキテルは、摩擦で生じた静電気をためて放電する装置です。現代の発電機や家庭用電源とは役割が異なり、当時は大名屋敷などで見世物として使われたほか、病気の治療を目的に利用されたと文化遺産データベースに記録されています。

この装置が象徴的なのは、源内が海外の知識をただ珍しいものとして眺めるだけでなく、構造を理解して自分の手で再現しようとしたことです。番組紹介の「工作人間」という表現も、学問を実際のものづくりへ結びつけた源内の姿を捉えたものといえます。

火浣布・戯作・鉱山開発にも広がった活動

火浣布はどんな布だった?

火浣布は、石綿を用いた耐火性の布です。国立国会図書館には、源内が火浣布の製作を説明した『火浣布略説』が残されています。

エレキテルと同じく、海外の知識や素材について調べ、それを実際の製作に結びつけた仕事でした。

源内の活動は、発明品を作ることだけに限られません。物産会で全国の産物を集め、火浣布のような素材加工を試み、鉱山や輸送路の開発まで考えています。

知識を得ることと、産業に活かすことを切り離していなかった点が特徴です。

戯作者としても活躍

源内は科学や技術だけでなく、文章を書く仕事でも知られています。『根南志具佐』『風流志道軒伝』などの戯作を刊行し、浄瑠璃の脚本も手がけました。

名古屋刀剣博物館の解説では、『根南志具佐』に社会風刺や江戸庶民の日常が描かれていると紹介されています。自然を調べる学者、道具を復元する技術者、読み物を生み出す作家という複数の顔が、源内の人物像を形づくっています。

土用の丑の日とうなぎの話は本当?

平賀源内には、夏にうなぎが売れず困っていた店のために「本日 土用丑の日」と書いた看板を提案した、という有名な逸話があります。名古屋刀剣博物館もこの話を紹介していますが、確定した史実としてではなく、源内にまつわる伝承・逸話の一つとして扱うのが適切です。

この逸話が広く知られていることからも、源内が発明家だけでなく、宣伝や流行に関わる人物として語られてきたことが分かります。ただし、物産会やエレキテルのように資料で確認できる仕事と、後世に伝わった逸話は区別して理解したいところです。

前回までの「泉秀樹の歴史を歩く」と関連記事

「泉秀樹の歴史を歩く」では、人物の功績だけでなく、その時代の政治や産業、人間関係をたどる回が続いています。今回の平賀源内回は、戦国武将や政治家とは異なり、学問・技術・産業・文学を横断した人物を扱う点が特徴です。

同じ番組の関連記事として、「お蚕主義者 渋沢栄一」とは?養蚕・パリ万博まで解説では、養蚕や産業の発展に関わった渋沢栄一を紹介しています。また、長谷川平蔵はなぜ松平定信に嫌われた?功績と関係を時系列解説では、江戸時代の政治と人物関係を整理しています。

参考にした情報

よくある質問

平賀源内は何をした人ですか?

本草学者、発明家、戯作者、事業家など複数の顔を持つ江戸時代中期の人物です。エレキテルの復元、物産会の開催、火浣布の製作、資源開発などに取り組みました。

エレキテルは平賀源内が発明したのですか?

欧州から伝わった器具をもとに、壊れたエレキテルを研究して復元・製作したものです。文化庁の資料では、1776年に摩擦起電機を作り出したと説明されています。

平賀源内と土用の丑の日には関係がありますか?

うなぎ屋のために「本日 土用丑の日」という看板を考案したという逸話が伝わっています。ただし、確実な史実と断定せず、伝承として見る必要があります。

平賀源内はいつ亡くなりましたか?

1779年(安永8年)に投獄され、その後、獄中で亡くなりました。杉田玄白は源内を「非常の人」と呼んで、その死を惜しんだと国立国会図書館が紹介しています。

まとめ

平賀源内は、エレキテルを復元しただけの人物ではありません。本草学を土台に物産会を開き、『物類品隲』を刊行し、火浣布の製作、鉱山や輸送路の開発、戯作や浄瑠璃の脚本まで幅広く手がけました。

2026年11月8日(日)放送の「泉秀樹の歴史を歩く」では、こうした多彩な活動を通じて、時代を先取りした源内の発想と行動に注目です。エレキテルの仕組みだけでなく、知識を集め、形にし、社会へ役立てようとした生涯をたどると、番組のいう「非常の人」の意味も見えてきます。

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