藍染め着物とジャパンブルーの歴史|江戸庶民が愛した「勝色」とは

海外からも「ジャパンブルー」として高い人気を集める藍染めは、古くから日本人の暮らしに根付いてきた伝統の染色技法です。

特に江戸時代には、藍染めの着物が庶民の間で粋なおしゃれとして広く愛用されていました。

ビジネスシーンで人気の高いブルーというカラーの歴史をたどると、日本独自の藍染め文化にたどり着きます。

今回は藍染め着物の歴史と、なぜ庶民に愛されたのか、その理由を詳しく紹介します。

この記事の要点

  • 藍染めの歴史は紀元前2000年のエジプトまでさかのぼる
  • 鎌倉時代には武士が「褐色(勝色)」として縁起を担ぎ鎧や兜に取り入れた
  • 江戸時代、藍染めの着物は身分制度で贅沢を禁じられた庶民の粋なおしゃれだった
  • 防虫・消臭・抗菌効果の高さも藍染めが庶民に愛された理由のひとつ

藍染めの歴史 万葉集にも登場する日本の伝統染色

藍染めの歴史が始まったのは、紀元前2000年のエジプトとされています。

日本でいつから行われるようになったのかを明確に示す資料は見つかっていないものの、『万葉集』に藍にまつわる句が登場していることから、少なくとも奈良時代には存在していたと考えられています。

鎌倉時代になると、藍染めは武士たちにも好まれるようになりました。

藍染めによる濃い紺色は「褐色(かちいろ)」と呼ばれ、武士たちは勝色と縁起を担いで鎧や兜などに取り入れていたといいます。

江戸庶民の粋なおしゃれだった藍染め着物

江戸時代に入ると木綿の普及とともに、タデアイの栽培が盛んな阿波国(現在の徳島周辺)で作られる天然染料「阿波藍」の染め物が全国に流通しました。

江戸では「青屋」や「紺屋」と呼ばれる染物屋が数多く誕生し、藍染めの生産と流通が大きく広がりました。

藍染めの深い青色の着物は、身分制度により贅沢を禁じられた庶民にとって粋なおしゃれとされ、町人から農民まで広く愛用されていたといわれています。

防虫や消臭、抗菌効果が高かったことも、藍染めの人気を支えた理由のひとつです。

北斎・広重の浮世絵と「ベロ藍」の意外な関係

江戸時代のブルーというと、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵も有名です。

実は彼らの浮世絵に使われたのは国産の藍ではなく、18世紀初頭にドイツ・ベルリンで発明された「プルシアンブルー」という合成顔料でした。

オランダ船によって長崎に持ち込まれると、「ベルリン藍」がなまって「ベロ藍」と呼ばれるようになりました。

北斎と広重はこの輸入顔料を用い、のちに「ホクサイブルー」「ヒロシゲブルー」として世界的に称賛されるようになったのです。

現代に受け継がれるジャパンブルーの人気

ブルーは目にした人に誠実、知的という印象を与えることから、コーポレートカラーとしても人気があります。

判断力や集中力を高めてくれる色ともいわれ、心を落ち着けて作業に取り組みたいときはブルー系の空間やインテリアが効果的とされています。

藍染めの技法は現在も全国各地の産地で受け継がれており、ジャパンブルーとして海外からも高い評価を得ています。

着物や小物に藍染めを取り入れることは、日本の伝統文化を身近に感じられる方法のひとつといえるでしょう。

藍染めの深い青色は、現代の着物コーディネートにおいても、落ち着きと品格を演出する定番の色として愛されています。

まとめ

藍染め着物は、紀元前のエジプトに起源を持ちながら、日本独自の発展を遂げてきた伝統文化です。

鎌倉時代には武士の勝色として、江戸時代には庶民の粋なおしゃれとして、それぞれの時代で藍染めならではの魅力が受け継がれてきました。

現代でもジャパンブルーとして世界中から愛される藍染めの歴史を知ることで、着物選びの楽しみもより一層深まるのではないでしょうか。

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