TV

  • HOME
  • ブログ
  • TV
  • 日曜美術館|丸木スマとは?73歳で初めて絵筆を握り8年間で700点を描いた画家|10/11 20:00

日曜美術館|丸木スマとは?73歳で初めて絵筆を握り8年間で700点を描いた画家|10/11 20:00

10月11日(日)20時からNHK Eテレで再放送される「日曜美術館 人生が、絵となる おばあちゃんアーティストの軌跡」で、中心的に紹介されるのが丸木スマです。

番組紹介では、丸木スマは73歳で初めて絵筆を握り、亡くなるまでの8年間で700点もの作品を描いた画家として紹介されています。専門的な美術教育を受けず、野山の草花や生き物、そして原爆の記憶までを自由な色と形で描いた人物です。

日曜美術館10月11日の放送情報

項目内容
番組日曜美術館「人生が、絵となる おばあちゃんアーティストの軌跡」
放送日時2026年10月11日(日)20:00〜20:45
放送局NHK Eテレ
中心人物丸木スマ
司会坂本美雨、守本奈実
出演アーサー・ビナード、木村セツ
初回放送2026年10月4日(日)9:00〜9:45

原爆の図丸木美術館は10月1日付のお知らせで、この回の「日曜美術館」で丸木スマの絵画が紹介されることを告知しています。10月11日は初回放送から1週間後の再放送です。

番組全体のテーマやグランマ・モーゼス、木村セツとの共通点は、日曜美術館10月4日「丸木スマはなぜ73歳から描いた?」の記事でも紹介しています。

丸木スマとは?1875年広島生まれの画家

丸木スマは1875年に広島県伴村、現在の広島市安佐南区に生まれた画家です。原爆の図丸木美術館の資料によると、結婚後は飯室村、現在の広島市安佐北区で船宿業と農業に従事しながら、4人の子どもを育てました。

その子どもの一人が画家の丸木位里です。位里と妻の丸木俊は、のちに共同制作「原爆の図」で知られる画家となりました。

スマ自身は若いころから画家を目指していたわけではありません。長年、家業や農作業、子育てに追われてきた生活者でした。美術学校などで専門教育を受けた経験もありません。

それでも晩年になって絵と出会い、短い期間に驚くほど多くの作品を残します。番組タイトルの「人生が、絵となる」という言葉は、まさにスマの歩みを表すものといえます。

丸木スマが絵を始めたのは73歳ごろ

丸木美術館の紹介では、スマは70歳を過ぎたころ、丸木俊のすすめで絵を描き始めたとされています。別の展覧会資料では、1948年ごろから絵筆をとるようになったと説明されています。

番組では「73歳で初めて絵筆を握った」と紹介されています。1875年生まれのスマにとって1948年は73歳になる年であり、美術館側の資料とも一致します。

絵を始める以前のスマにとって、手を動かすことは特別な創作ではなく生活そのものでした。船宿や農業を切り盛りし、家族を育てる毎日の中で、草花や動物、食べ物など身近なものを見続けてきました。

それらが、絵を始めてから重要な題材になります。専門的な技法を学んでから題材を探したのではなく、長い人生で見てきたものがそのまま絵の世界へ流れ込んだ点が、スマの作品を考える大きな手がかりです。

8年間で700点を超える作品を残した

丸木スマは1956年に81歳で亡くなりました。絵を本格的に描き始めたのが1948年ごろですから、制作期間はおよそ8年です。

原爆の図丸木美術館は、スマがその間に700点を超える絵を残したと紹介しています。単純に点数だけを見ても、晩年の短い期間に非常に精力的に制作していたことが分かります。

丸木俊が「そんなに描いたら疲れるでしょう」と声をかけたところ、スマは畑の草取りに比べれば遊んでいるようなものだと答えた、というエピソードも美術館公式ページで紹介されています。

長年の労働を経験してきたスマにとって、絵を描くことは負担というより、ようやく自分の目で見た世界を自由に形にできる時間だったことが伝わってきます。

丸木スマの絵は何が特徴?

丸木スマの絵の大きな特徴は、専門的な美術教育の型に縛られず、身近な花や動物、食べ物を大胆な構図と色彩で描いたことです。日常で見慣れたものが、スマの画面では生き生きとした存在として立ち上がります。

花や動物が画面いっぱいに広がる

スマの作品では、花、鳥、猫、魚、野菜など、生活の身近にあったものが何度も描かれています。丸木美術館は、その動物たちにはユーモラスで豊かな表情やしぐさがあり、花には画面からあふれるような生命力があると紹介しています。

遠近法や透視図法のような美術教育上の約束事に縛られず、見たものや感じたものを独自の配色と構図で描いたことも特徴です。

番組紹介でも「技法や常識に捕らわない作品」とされており、いわゆる上手さの基準では測れない自由さが、スマの魅力として取り上げられます。

美術教育を受けていないことが個性につながった

スマは専門の美術教育を受けていませんでした。しかし、それは作品の価値が低いという意味ではありません。

既成の技法を身につけていなかったからこそ、対象をどう配置するか、どんな大きさで描くか、何色を使うかを自分の感覚で決めることができました。丸木美術館の展覧会資料でも、身近な動物や魚、四季の花々を題材にしながら、配色や構図に独自の工夫が見られると説明されています。

その自由奔放な作風は次第に評価され、1951年には展覧会で入選し、画壇でも認められていきました。

原爆の記憶を描いた作品もある

「日曜美術館」の番組紹介では、スマの題材として「野山の草花や生き物、そして原爆の記憶」が挙げられています。

丸木スマは広島に生まれ、家族も原爆と無関係ではありませんでした。丸木美術館には、スマが描いた《ピカのとき》など、原爆の記憶に結びつく作品も残されています。

ただし、スマの作品全体を「原爆の絵」だけで捉えることはできません。花や動物、食べ物など、日々の暮らしの中にある生命も繰り返し描いています。

悲惨な記憶と、生き物の明るさやユーモアが同じ作家の中に共存しているところに、丸木スマの作品世界の大きな幅があります。

1951年に入選、画家として評価された

丸木美術館の公式ページでは、スマの天衣無縫で奔放な作風が画壇でも認められ、1951年に初めて展覧会で入選し、1953年には院友に推挙されたと紹介されています。

絵を始めてから数年で公的な展覧会に評価されたことになります。しかし、スマの魅力は経歴上の受賞や肩書きだけにあるわけではありません。

73歳までに積み重ねた生活の記憶が、既存の技法とは別の形で画面に現れたこと、その作品が周囲の画家や鑑賞者に新鮮な驚きを与えたことが重要です。

2026年には過去最大規模の丸木スマ展も開催

丸木スマへの関心は現在も続いています。2026年9月11日から11月23日まで、滋賀県立美術館では「丸木スマ展 73歳からのアーティスト」が開催されています。

原爆の図丸木美術館によると、絵画や資料を合わせて約130点が公開される過去最大規模の展覧会です。日曜美術館の放送時期と重なるため、番組をきっかけにスマの実作品に関心を持つ人にとっても注目の機会です。

73歳で始まった創作が、没後70年近くを経ても大規模展やテレビ番組で改めて取り上げられていること自体、作品の生命力を示しています。

前回の初回放送は10月4日

今回の「人生が、絵となる おばあちゃんアーティストの軌跡」は、10月4日9時から初回放送されました。原爆の図丸木美術館も放送前に公式告知を掲載しています。

10月11日20時からは再放送です。丸木スマだけでなく、アメリカのグランマ・モーゼス、90歳から新聞ちぎり絵を始めた木村セツさんも取り上げられます。

参考にした情報

よくある質問

丸木スマは何歳から絵を描き始めましたか?

番組では73歳で初めて絵筆を握ったと紹介されています。丸木美術館の資料では1948年ごろから描き始めたとされています。

丸木スマは何点くらい作品を残しましたか?

1956年に81歳で亡くなるまでに、700点を超える作品を残したと原爆の図丸木美術館が紹介しています。

丸木スマは美術学校で絵を学んだのですか?

専門的な美術教育は受けていません。既成の技法にとらわれない自由な構図や色彩が作品の特徴になりました。

まとめ

「日曜美術館」で紹介される丸木スマは、73歳ごろから絵を描き始め、約8年間で700点を超える作品を残した画家です。

長年の船宿、農業、子育ての暮らしを経て、花や動物、食べ物、そして原爆の記憶までを独自の色と形で描きました。美術教育を受けていないことを弱みではなく自由な表現へ変えた点こそ、丸木スマの作品が今も多くの人を引きつける理由の一つです。

このテーマの関連記事はこちら