京の水ものがたり「巨椋池の今と昔」|巨椋池はどこ?なぜ消えた【8月23日】|8/23 17:00

2026年8月23日(日)17:00からKBS京都で再放送される「京の水ものがたり #7 巨椋池の今と昔」。KBS京都公式番組表で、17:00からの再放送、案内人が鈴木康久さん(京都産業大学教授・カッパ研究会世話人)であることを確認しました。

巨椋池は現在、大きな池として地図に残っていません。かつて京都南部に広がった巨大な淡水湖が、治水と干拓によって農地へ姿を変えた場所です。「巨椋池はどこにあった?」「なぜ消えた?」「今は何になっている?」を中心にまとめます。

「巨椋池の今と昔」放送時間・出演者

番組名京の水ものがたり
話数・テーマ#7「巨椋池の今と昔」
放送日2026年8月23日(日)
放送時間17:00~17:15
放送局KBS京都
放送形態再放送
出演鈴木康久(京都産業大学教授・水文化研究者)

巨椋池はどこにあった?京都南部の巨大な淡水湖

京都市公式の京都観光Naviでは、巨椋池は京都盆地の最も低い場所にあり、宇治川・桂川・木津川が合流する地域に生まれた巨大な湖と説明されています。規模は東西約4km、南北約3km、水域面積約794ヘクタール。平均水深は約0.9mと浅い一方、魚や鳥、水生植物に恵まれた場所でした。

場所としては、現在の京都市伏見区、宇治市、久御山町にまたがる一帯です。「巨椋池IC」など地名に名残はありますが、かつての池の水面そのものは干拓によって姿を消しています。

なぜ巨椋池は消えた?1933~1941年の国営干拓

農林水産省の公式資料によると、巨椋池は昔から遊水池として漁業が盛んな一方、水害が繰り返される地域でもありました。1900年頃から本格的な治水が進み、その後、優良農地を求める声が高まったことから1933年~1941年に国営干拓事業が行われます。

干拓によって池は約634ヘクタールの農地へ生まれ変わりました。治水、農業、水路の管理が重なった大きな地域改造だった点が重要です。

豊臣秀吉の時代にも水の流れは大きく変えられた

巨椋池の変化は昭和の干拓だけではありません。国土交通省近畿地方整備局の資料では、豊臣秀吉が伏見の整備と洪水対策のため、太閤堤・槇島堤・向島堤などを築き、宇治川の流れを変えたことが紹介されています。

京都市公式の解説でも、秀吉の築堤後に巨椋池は大池、二ノ丸池、中内池、大内池などへ分かれていったとされています。番組タイトルの「今と昔」は、自然の池が人の手で何段階にも姿を変えてきた歴史を知る入口になります。

巨椋池の今|農地と水路、生きものの環境が残る

現在の干拓地は、水田などの農地として使われています。農林水産省は、干拓地を網の目のように流れる水が作物の生産だけでなく、多様な生態系も支えていると紹介しています。

京都市の生物多様性資料では、かつての巨椋池が多様な動植物の生息地だったこと、現在の広大な農地も草地性の鳥類などの生息環境になっていることが示されています。池は消えても、水の土地だった記憶は農地・水路・生態系に残っていると見ることができます。

案内人・鈴木康久さんは水文化研究者

KBS京都公式では、鈴木康久さんを京都産業大学教授の水文化研究者として紹介しています。琵琶湖・淀川流域圏の交流にも携わり、京都の水と暮らしを研究している人物です。

サイト内には鈴木さんの単独プロフィール記事は確認できないため、人物名から架空URLは作らず、「京の水ものがたり」祇園祭・御旅所の記事や、神泉苑を扱った回へつないでいます。

「京の水ものがたり」は短時間で京都の景色の見方が変わる

番組公式は、京都盆地の豊かな地下水や川の流れが京の文化を育んできたことを軸に、「水」を通して京都を紹介する番組と説明しています。#7では観光地というより、今の風景からは見えにくい巨大な池の痕跡をたどる回として見ると理解しやすいでしょう。

よくある質問

巨椋池は現在もありますか?

かつての大きな水面は、1933~1941年の国営干拓事業で姿を消しました。現在は主に農地や水路として利用されています。

巨椋池はどこにあった?

現在の京都市伏見区、宇治市、久御山町にまたがる京都盆地南部に広がっていました。

巨椋池はなぜ干拓された?

水害対策や水質問題に加え、優良な農地を確保する目的から国営干拓事業が進められました。

「京の水ものがたり」#7の出演者は?

京都産業大学教授で水文化研究者の鈴木康久さんです。

公式情報・参考資料

KBS京都「京の水ものがたり」公式ページ、京都市公式「巨椋池(二ノ丸池)址」、農林水産省「豊かな暮らしを支える巨椋池干拓地」、国土交通省近畿地方整備局の巨椋池・治水資料を確認しています。

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