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カズレーザーが体育嫌いだった理由|「できないから嫌いになる」持論とネットの共感の声

お笑いコンビ・メイプル超合金のカズレーザーさん(41)が、YouTubeチャンネル「カズレーザーと松陰寺のチルるーム【公式】」に出演し、学生時代に体育の授業が嫌いだった理由を語った。運動そのものが嫌いなわけではなく、球技や水泳など「できない種目」を強制されることへの違和感を率直に語ったこの発言は、多くの共感を呼んでいる。本記事ではカズレーザーさんの発言内容と、同じような経験を持つ人たちから寄せられた声を整理してまとめる。

  • カズレーザーさんが「手すりを登ったりする全身運動は好きだが、体育の授業にはなかった」と発言
  • 「できないから嫌いになる。できる人が“なんでできないんだよ”と言うから、さらに嫌いになる」と持論を展開
  • 大学時代はフェンシングに打ち込んでおり、運動自体を嫌っているわけではないと説明
  • 「野球やサッカーができれば運動できる部類に入れるが、限定されたスポーツに過ぎない」と日本の体育教育の在り方に一石を投じた

カズレーザーが語った体育嫌いの理由

カズレーザーさんは20日に更新されたYouTubeチャンネル「カズレーザーと松陰寺のチルるーム【公式】」に出演し、学生時代に嫌いだった授業について語る場面があった。「手すりを登ったりとかそういう全身運動は好きだけど、そういう種目が体育の授業になかった。だから体育が嫌いだったし、自分は運動神経が悪いと思ってた」と、当時の心境を率直に振り返っている。

さらにカズレーザーさんは「できないから嫌いになるわけ。球技とかスイミングとか。できなくて嫌いなのにできる人が“なんでできないんだよ”って言うから嫌いになる」と続けた。この発言は、体育の授業が特定の種目に偏っていることや、できる生徒とできない生徒の間に生まれる温度差が、体育嫌いを助長する要因になっているという指摘として受け止められている。

大学時代のフェンシング経験と持論

カズレーザーさんは大学時代、フェンシングに打ち込んでいたことでも知られており、体を動かすこと自体が嫌いなわけではないという。「例えば日本でフェンシングが盛んで、体育の授業でもフェンシングをやったり、部活で幅をきかせているような環境だったら、大概の人間が体育を嫌いになると思う」と語り、体育で扱われる種目の偏りそのものに問題があるという持論を展開した。

続けて「野球、サッカーができたらとりあえずスポーツできる部類に入れるけど、限定されたスポーツなのに」とも語っており、日本の学校体育が野球やサッカーといった一部の球技を中心に構成されがちな現状に疑問を投げかけている。フェンシングという、日本では比較的マイナーな競技で実績を積んだ経験があるからこそ説得力を持つ指摘だといえる。

メイプル超合金は、カズレーザーさんと安藤なつさんによるお笑いコンビとして2003年に結成され、独特な世界観のコントやキャラクター性で人気を集めてきた。近年はカズレーザーさん個人としての露出も増えており、報道番組やクイズ番組、情報バラエティなど幅広いジャンルで活躍している。歯に衣着せぬコメントでたびたび話題になる一方、今回のように自身の学生時代を振り返るエピソードでは、社会的な問題提起につながる発言も多く、単なる「毒舌キャラ」にとどまらない一面もうかがえる。

カズレーザーのプロフィール

カズレーザーさんは、お笑いコンビ「メイプル超合金」のボケ担当として活動する一方、クイズ番組への出演や豊富な読書量を生かしたコメンテーターとしても知られている。年間200冊以上の本を読破するとされる読書家で、番組内で紹介した本がAmazonのランキング上位に入るなど、その発信力の高さでも注目されている。歯に衣着せぬ発言と、独自の視点に基づいた分析力に定評があり、バラエティ番組では貴重な「本音」を語る存在として重宝されている。

今回の体育に関する発言も、単なる思い出話にとどまらず、教育のあり方や指導方法に対する問題提起として受け止められている点が特徴的だ。自身の実体験に基づいた具体的なエピソードを交えながら語るスタイルは、視聴者やリスナーから「説得力がある」と評価されることが多い。

カズレーザーさんの発言はSNSでも取り上げられ、同世代・同世代以上の視聴者から「まさに自分の学生時代と同じだった」という共感の声が相次いだ。特に、球技が得意な生徒を基準にクラス全体の評価がされがちだった経験や、逆上がりや跳び箱といった特定の種目ができないだけで「運動音痴」というレッテルを貼られてしまった経験を持つ人は多く、今回の発言は世代を問わず幅広い層の共感を集める結果となった。

なぜ「できない」と嫌いになるのか 体育指導の構造的な課題

カズレーザーさんの発言が多くの共感を集めた背景には、体育の授業が他教科と異なり「基礎から丁寧に教わる機会」が少ないという構造的な課題がある。国語や算数では基礎的な内容から順を追って学ぶのに対し、体育では「できる子」がさらに伸びる一方で、「できない子」は具体的な指導を受けられないまま置いていかれがちだという指摘は根強い。ボールの正しいキャッチの仕方や、クロールでの息継ぎのコツなど、基本動作を丁寧に教わる機会が乏しかったと感じている人は少なくないようだ。

また、体育教師自身の競技経験によって指導の質が大きく左右されるという指摘もある。器械体操の経験がある教師からコツを教わり、それまでできなかった技が急にできるようになったという体験がある一方、運動経験が乏しい担任からは的確な指導を受けられなかったという声もある。指導者との出会いが、その後の運動に対する得意・苦手意識を大きく左右する例は多い。

スポーツ庁が公表している調査でも、子どもの体力・運動能力には二極化の傾向がみられ、運動が得意な子どもとそうでない子どもの差が年々広がっているという指摘がある。こうした背景には、幼少期からの運動経験の差や、部活動・スポーツクラブへの参加状況の違いなど、学校の体育の授業だけでは説明できない要因も複雑に絡み合っているとみられる。カズレーザーさんのような著名人が自身の実体験を交えて発信することで、こうした教育上の課題が改めて議論の俎上に載る意義は小さくないだろう。

体育の授業スタイルは今後変わるのか

体育の授業には球技、陸上、器械運動、ダンスなど様々なジャンルが存在するが、そのうちの一つでうまくいかない経験をしただけで「自分は運動神経がない」と思い込んでしまう児童・生徒は少なくないとされる。順位付けや競争を重視する指導だけでなく、体を動かすこと自体を楽しむ健康法として体育を位置づける指導へのシフトを求める声も上がっている。

一方で、理想的には様々なスポーツを幅広く経験させることが望ましいものの、学校現場では体育館や校庭、予算といった設備面の制約から、結果的に野球やサッカーのような比較的コストのかからない球技に授業内容が偏りがちだという構造的な事情もある。フェンシングのような特殊な用具や指導者を必要とする競技を体育に取り入れることは現実的に難しく、種目の多様化には時間がかかるとみられる。

ネットの声:体育の授業への様々な思い

カズレーザーさんの発言には、共感の声が数多く寄せられている。「体育は他教科のように基礎から教えてほしかった」「昔の体育はできる子だけが楽しく、できない子は置いてきぼりだった」という不満の声や、「中学のマット運動で前方転回ができないまま卒業したが、高校で体操経験のある教師に助走の意味を教わり、人生で初めて成功できた」という体験談も見られ、「良い指導者との出会い」の大切さを実感したという声が目立った。一方で「運動神経の良い生徒や体育大出身の教師にからかわれて競技が嫌いになった」「教える気のない体育教師が生徒を萎縮させる」といった、指導する側の姿勢を問う厳しい意見も少なくなかった。

また、「体育教師は“何でもそこそこできてしまう子”だった人が多く、できない子の気持ちや上達のコツが理解できていないのでは」という分析的な意見や、「教師になる人は学校生活が楽しかった側の人間が多いため、運動が苦手な子や学校が嫌いな子の気持ちが分からないことが多い」という指摘もあった。一方で、「ステージへの助走飛び乗りの授業で、諦めかけていた自分に先生が“出来るから!”と励まし続けてくれ、クラス全員が最終的に飛び乗れた」という前向きな成功体験や、小学生の頃50m走が8秒台だったが、高校でストライドを意識して走り方を変えたところタイムが大きく縮んだという体験談もあり、体の使い方や指導の工夫次第で苦手意識を克服できるという声も寄せられている。

近年では、運動が苦手な子どもでも楽しみながら体を動かせるよう、順位付けを重視しないレクリエーション形式の体育や、選択制で複数の種目から選べるカリキュラムを取り入れる学校も増えつつある。すべての生徒が同じ種目で同じ基準の評価を受ける従来型の体育から、個々の得意・不得意に応じた多様な学び方への転換は、今後の学校教育における一つの課題といえるだろう。

まとめ:体育嫌いの背景にある構造を見直す機会に

カズレーザーさんの発言は、単なる学生時代の思い出話にとどまらず、日本の学校体育が抱える構造的な課題を改めて浮き彫りにした。「できないから嫌いになる」「できる人からの心ない言葉がさらに苦手意識を強める」という指摘は、多くの人が経験してきたことでもあり、共感を呼んだ理由もそこにあるといえる。限られた種目に偏りがちな体育の授業をどう改善していくかは、今後の学校教育においても引き続き議論されるテーマになりそうだ。

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