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ニッポン不滅の名城「和歌山城」11月7日|豊臣秀長が築いた理由と徳川御三家の城になった謎を解説|11/7 14:15

2026年11月7日(土)14時15分からNHK BSP4Kで放送される「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城」の舞台は、和歌山城です。

和歌山城というと紀州徳川家の居城、徳川御三家の城というイメージが強いですが、出発点は豊臣政権にあります。最初に築城したのは、豊臣秀吉の弟として知られる豊臣秀長でした。

番組では、壮大な石垣に残る手掛かりから「なぜ秀長がこの場所に城を築いたのか」「豊臣の城だった和歌山城が、なぜ徳川御三家の城になったのか」という歴史の謎をたどります。

ニッポン不滅の名城「和歌山城」の放送日時と出演者

項目内容
放送日2026年11月7日(土)
放送時間14:15〜15:15
放送局NHK BSP4K
番組絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城 和歌山城
出演千田嘉博
主なテーマ和歌山城の石垣、豊臣秀長による築城、紀州徳川家の城となった理由

Gガイドの11月7日番組表では、14時15分から15時15分までの1時間枠で放送予定と案内されています。

NHKオンデマンドの公式ページでは、本編59分、出演は城郭考古学者の千田嘉博さんと確認できます。千田さんは石垣や縄張り、発掘成果などから城の歴史を読み解く研究者で、今回も最新研究を交えながら和歌山城の秘密を解説します。

千田嘉博さんについては、城郭研究者としての経歴をまとめた記事でも紹介しています。

和歌山城は誰が築いた?最初は豊臣秀長の城

和歌山城の始まりは、天正13年(1585年)です。

史跡和歌山城の公式サイトによると、紀州を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に命じて紀ノ川河口部の「岡山」、現在の虎伏山に城を築かせました。これが和歌山城の創建です。

現在の和歌山城は徳川の城として知られますが、最初から徳川家のために造られたわけではありません。むしろ、豊臣政権が紀州を押さえるための拠点として始まった城でした。

秀長が築城した場所はなぜ虎伏山だった?

和歌山市の広報資料では、和歌山城が築かれた紀ノ川河口部には、当時「紀湊」と呼ばれる港があり、交通の要衝だったと説明されています。

海と川の交通を押さえられる場所に城を置くことは、軍事だけでなく物流や地域支配の面でも大きな意味を持ちます。

和歌山平野はそれまで雑賀衆など地域勢力の影響が強かった土地です。秀吉が紀州を平定したあと、政権側がこの地域を安定して治めるためには、象徴となる城と政治拠点が必要でした。

その役割を任されたのが、秀吉の弟であり政権運営を支えた秀長だったと考えると、番組で示される「秀長が帯びた特命」の意味が見えやすくなります。

番組の謎① 石垣に残る豊臣時代の手掛かりとは?

NHKオンデマンド公式は、城内に入ると次々に現れる壮大な石垣に、豊臣時代の城を知る手掛かりが隠されていると紹介しています。

現在見える和歌山城は、豊臣期、桑山期、浅野期、徳川期と、複数の時代に増改築されています。そのため、城全体が一つの時代に完成したのではなく、石垣や曲輪の形をたどることで、どの時期にどんな役割を持っていたのかを推測できます。

史跡和歌山城の2026年の見学会案内でも、和歌山城は豊臣家によって創建された近世城郭の一つであり、秀吉の指示で秀長が築城、さらに築城の名手として知られる藤堂高虎が初期に関わったと紹介されています。

つまり、番組で石垣を見るときは「大きくて立派」というだけでなく、どの時代の築城技術が残っているのかに注目すると面白さが増します。

豊臣秀長だけで完成した城ではない

秀長は和歌山城築城後、大和郡山城へ移ります。その後は家臣の桑山重晴が和歌山城代となりました。

さらに1600年、関ヶ原の戦いの後には浅野幸長が紀伊に入り、和歌山城主となります。浅野氏は連立式天守を築き、本丸・二の丸・西の丸などを整備し、城下町の骨格も作りました。

現在の和歌山城を理解するには、「秀長が築いた城」だけで終わらせず、豊臣→桑山→浅野→徳川と段階的に姿を変えた城として見ることが大切です。

番組の謎② 豊臣の城がなぜ徳川御三家の城になった?

番組の大きなテーマが、豊臣政権の拠点だった城を、なぜ江戸幕府が御三家の城としたのかという疑問です。

和歌山城の歴史では、1619年に大きな転機が訪れます。

徳川家康の十男である徳川頼宣が紀伊に入り、紀州藩が成立しました。和歌山城は紀州徳川家の居城となり、尾張・水戸と並ぶ徳川御三家の一つを支える城になります。

徳川頼宣が入城した1619年が転換点

史跡和歌山城公式によると、頼宣は55万5千石を拝領して紀州に入りました。

頼宣の時代には二の丸を西へ広げ、砂の丸や南の丸を新たに造成するなど、城域がさらに拡張されます。現在見られる和歌山城の縄張りは、この徳川期の整備で大きく形づくられました。

徳川幕府にとって紀州は、西国方面への備えや海上交通を考えるうえでも重要な地域でした。豊臣期から交通の要所として選ばれていた和歌山城の立地は、徳川政権にとっても価値が高かったと考えられます。

番組では、単に「豊臣の城を徳川が奪った」という単純な構図ではなく、立地と城の機能を引き継ぎながら、徳川の重要拠点へ変えていった過程に注目すると理解しやすいでしょう。

和歌山城の歴史を時系列で整理

和歌山城の変化を時系列で並べると、番組の話がつながりやすくなります。

1585年 秀吉が秀長に築城を命じる

豊臣秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に和歌山城を築かせます。

この時点の城は、現在よりも範囲が小さく、虎伏山を中心とした山頂部と南側の岡口門周辺が中心だったと和歌山市は説明しています。

1586年ごろ 桑山重晴が城代となる

秀長が大和郡山へ移った後、家臣の桑山重晴が和歌山城代となります。

豊臣政権の地域支配を支える城として使われました。

1600年 浅野幸長が入城

関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が紀伊に入り、和歌山城を整備します。

浅野氏の時代には連立式天守が築かれ、城下町も整えられました。近世城郭としての和歌山城の骨格が大きく発展した時期です。

1619年 徳川頼宣が入城

徳川家康の十男・頼宣が入城し、紀州徳川家の時代が始まります。

二の丸や南の丸、砂の丸などの整備が進められ、御三家の居城としてふさわしい規模へ拡張されました。

江戸時代 御三家の城として定着

紀州徳川家は、のちに8代将軍となる徳川吉宗、14代将軍となる徳川家茂を輩出します。

和歌山城は単なる地方の城ではなく、将軍家と深いつながりを持つ政治的にも重要な城になりました。

白亜の天守は当時のまま?現在の姿も確認

番組紹介では、白亜の天守や連なる建物の美しさも見どころとして挙げられています。

ただし、現在の天守は江戸時代からそのまま残ったものではありません。

和歌山城公式の年表では、1846年に天守が落雷で焼失し、1850年に再建。その後、第二次世界大戦中の空襲で再び焼失し、現在の天守は戦後に再建されたものです。

一方、石垣や曲輪、門跡などには各時代の痕跡が残ります。そのため番組では、建物の見た目だけではなく、地形や石垣から歴史を読むことが重要になります。

豊臣秀長と藤堂高虎の関係にも注目

2026年10月に史跡和歌山城が開催した見学会では、和歌山城の初期築城に藤堂高虎が関わったと紹介されています。

藤堂高虎は後に多くの城づくりに関与した武将として知られますが、若い時期には秀長に仕えていました。

和歌山城で豊臣秀長の名前だけでなく藤堂高虎の名も出てくるのは、秀長が自ら石を積んで城を造ったという意味ではなく、家臣団と築城技術者を動かして地域支配の拠点を整備したことを示しています。

番組で「誰が築いた城か」を考えるときも、命じた秀吉、城主となった秀長、築城に関与した家臣たちという複数の役割を分けて見ると分かりやすくなります。

和歌山城を現地で見るなら番組後に注目したい場所

和歌山城公式では、天守閣のほかにも西之丸庭園、御橋廊下、わかやま歴史館などが案内されています。

番組を見た後に現地を訪れるなら、天守だけを目指すより、石垣や曲輪の位置関係を意識して歩くと、豊臣・浅野・徳川の各時代の重なりを感じやすくなります。

特に、番組の主題が石垣と築城のルーツなので、「どこから見れば天守がきれいか」だけでなく、城の形がどう変わったのかを意識して歩くのがおすすめです。

同シリーズの別の城については、ニッポン不滅の名城「大坂城」の見どころと施設情報も紹介しています。豊臣政権の城という共通点から見比べると、和歌山城の役割がより分かりやすくなります。

参考にした情報

よくある質問

和歌山城を最初に築いたのは誰ですか?

1585年、豊臣秀吉の命を受けた弟の豊臣秀長が築城しました。史跡和歌山城公式では、これを和歌山城の始まりとしています。

和歌山城はなぜ徳川御三家の城になったのですか?

1619年に徳川家康の十男・徳川頼宣が紀州へ入り、紀州徳川家が成立したためです。和歌山城はその居城として拡張され、御三家の重要拠点になりました。

11月7日のニッポン不滅の名城 和歌山城の出演者は誰ですか?

城郭考古学者の千田嘉博さんです。NHKオンデマンド公式とGガイドで出演が確認できます。

まとめ

11月7日の「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城 和歌山城」は、徳川御三家の城として有名な和歌山城のルーツが、実は豊臣秀長の築城にあることをたどる回です。

1585年に秀吉の命で秀長が城を築き、桑山氏、浅野氏による整備を経て、1619年に徳川頼宣が入城。こうして豊臣政権の地域支配拠点だった城は、紀州徳川家の居城へと姿を変えていきました。

白亜の天守だけでなく、石垣や曲輪に残る時代ごとの痕跡を見ると、豊臣から徳川へ続く和歌山城の歴史が立体的に見えてきます。番組では千田嘉博さんの解説とともに、「なぜこの場所に城が必要だったのか」という視点で見るのが最大のポイントです。

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