TV

  • HOME
  • ブログ
  • TV
  • ETV特集「俚謡山脈のDIGの細道 北関東編」木崎音頭と八木節はどう生まれた?新保広大寺節からの流れ|10/10 23:00

ETV特集「俚謡山脈のDIGの細道 北関東編」木崎音頭と八木節はどう生まれた?新保広大寺節からの流れ|10/10 23:00

10月10日(土)23時からNHK Eテレで放送されるETV特集「俚謡山脈のDIGの細道 北関東編」では、北関東民謡のルーツをたどるなかで木崎音頭と八木節が紹介されます。

番組表では、新潟の新保広大寺節から木崎音頭、八木節が派生したと案内されています。現在は群馬・栃木を代表する民謡として知られる二つの歌ですが、その間には人の移動と宿場町の文化がありました。

太田市、足利市、桐生市、十日町市の公的資料をもとに、新保広大寺節→木崎節・木崎音頭→八木節という流れを分かりやすく整理します。

ETV特集「俚謡山脈のDIGの細道 北関東編」の放送情報

項目内容
放送日時2026年10月10日(土)23:00〜24:00
放送局NHK Eテレ
番組名ETV特集 俚謡山脈のDIGの細道 北関東編
出演俚謡山脈
今回のテーマ群馬・栃木・茨城の民謡を巡り、土地ごとの音の違いをたどる

Gガイドの紹介では、まず「北関東民謡の源流」として新保広大寺節を取り上げ、そこから派生した木崎音頭、八木節へ話がつながります。

今回の面白さは、民謡を県ごとに切り分けず、歌が人と一緒に移動して別の土地で変化する歴史として見せるところです。木崎音頭と八木節の関係を知っておくと、番組内で語られる「人がさすらえば、音もさすらう」という言葉も理解しやすくなります。

木崎音頭はどう生まれた?

木崎音頭は、群馬県太田市の木崎地区に伝わる民謡で、戦前は木崎節と呼ばれていました。

太田市の文化財解説によると、木崎地区は日光例幣使道の宿場として人の往来があり、旅籠屋が並ぶ遊興の地でもありました。越後から来た女性たちが飯盛女として働き、故郷や家族を思いながら、幼い頃に覚えた歌を宴席で歌ったことが木崎節の始まりと伝えられています。

十日町市の資料では、越後瞽女が広めた新保広大寺節が関東方面へ伝わり、上州の風土に合う木崎音頭、八木節へ変化したと説明されています。

桐生市の資料ではさらに、新保広大寺節が各地でアレンジされて「新保広大寺くずし」となり、それが木崎宿で歌われて木崎節へ変化したという系譜が示されています。

木崎宿で歌が変わった背景

木崎は現在の群馬県太田市にあたり、江戸時代の日光例幣使街道の宿場でした。

宿場には旅人だけでなく、各地から働きに来た人たちも集まります。そこで越後から伝わった歌が宴席や盆踊りで歌われるうちに、土地の人が歌いやすい節回しへ変わっていったと考えられています。

太田市の説明では、木崎節は夏の盆踊りで歌われ、手ぬぐいで頬かぶりし、うちわで顔を隠しながら踊る形が伝えられています。一節歌うごとに一回りして次の文句へ進む節回しだったとされ、単なる座敷歌ではなく、地域の踊りと結びついて定着していったことが分かります。

歌が宿場で人々に受け入れられ、踊りと一体になることで「木崎の歌」へ変わったことが、次の八木節につながる大きな段階でした。

木崎節から八木節へどう変化した?

太田市は、木崎節が八木節の元唄であることは多くの民謡研究家に認められていると紹介しています。

木崎宿の東側、現在の栃木県足利市には八木宿がありました。太田市の資料では、八木宿で生まれた堀込源太が木崎節を土地の風土に合う威勢のよい節へ変え、生地の「八木」の名を取って八木節としたと伝えています。

桐生市は、新保広大寺くずしが木崎節となり、さらに八木節へ変化したと説明しています。太田市の『太田かるた』解説でも、木崎音頭が八木節の源流であり、後に堀込源太らによって広められたとされています。

一方で、八木節の起源には複数の説明があります。足利市の公式ページも「起源については様々にいわれています」としたうえで、堀込源太こと渡辺源太郎が地元や他所の芸能から影響を受けながら八木節を完成させたと説明しています。

したがって、「誰か一人が突然作った歌」と考えるより、木崎節を土台に複数の歌い手や地域の文化が重なり、現在の八木節へ整えられていったと見るほうが公的資料の説明に近いです。

八木節を広めた堀込源太とは

足利市によると、八木節の元祖といわれる堀込源太(渡辺源太郎)は1872年、下野国梁田郡堀込村に生まれました。

美声と歌唱力で知られ、農業などの仕事をしながら近隣の仲間と歌の技量を磨き、自ら工夫を重ねて「源太節」を作り上げたとされています。

八木節は明快なリズムと賑やかな囃子が特徴で、地域の祭りや盆踊りで親しまれるようになりました。足利市の別資料では、大正時代にレコード化され、全国的に知られるようになったことも紹介されています。

木崎の宿場で育った歌が、歌い手の工夫と新しいメディアによって広い地域へ伝わった点は、新保広大寺節が人の移動によって広まった歴史とも重なります。

木崎音頭と八木節の違いは?

両者はつながりが深い一方、同じものではありません。

木崎音頭は木崎地区の盆踊り歌として伝承され、太田市の市指定重要無形民俗文化財になっています。八木節は足利市をはじめ群馬県東部から栃木県南西部に広く根付き、各地の団体によって演奏・踊りが受け継がれています。

足利市の資料では、八木節には地域によって囃子や踊りの違いがあり、歌詞も自由に作ることができると紹介されています。つまり、共通するルーツを持ちながら、伝わった先で独自の様式を育てた民謡です。

番組で両方の音源や演奏が紹介される場合は、節回しやテンポ、囃子の違いだけでなく、「どの土地で、どのような場で歌われてきたのか」にも注目すると違いが見えやすくなります。

新保広大寺節から木崎音頭、八木節への流れ

公的資料をもとに大きな流れをまとめると、次のようになります。

  1. 新潟県十日町地域の新保広大寺節が越後瞽女などによって各地へ伝わる
  2. 関東へ伝わる過程で「新保広大寺くずし」などの形に変化する
  3. 日光例幣使街道の木崎宿で歌われ、木崎節・木崎音頭として定着する
  4. 木崎節を土台に、堀込源太らの工夫によって八木節が形成され、広く知られるようになる

この流れを見ると、民謡は地域に固定された音楽ではなく、人の移動とともに変化し続ける音楽だったことが分かります。

今回のETV特集が木崎音頭と八木節を並べて取り上げるのは、二つの曲の違いを紹介するだけでなく、その背後にある「移動する歌」の歴史を描くためと考えられます。

現在も木崎音頭と八木節は受け継がれている?

木崎音頭は太田市の市指定重要無形民俗文化財として保存され、地域の保存会などによって伝承されています。

八木節も足利市の代表的な郷土芸能として現在まで受け継がれています。足利市には八木節振興センターがあり、資料展示や伝承活動が行われています。

また、2026年度にも足利市内で観光八木節公演や地域の祭りが開催されており、八木節は歴史資料の中だけの芸能ではありません。現在も地域の祭りや舞台で演奏され、次の世代へ引き継がれています。

参考にした情報

よくある質問

木崎音頭と八木節は同じ民謡ですか?

同じではありませんが、深い関係があります。木崎節・木崎音頭が八木節の元唄になったと太田市や桐生市の資料で説明されています。

木崎音頭の元になった歌は何ですか?

新潟県十日町地域に伝わる新保広大寺節が関東へ伝わり、変化して木崎節・木崎音頭につながったとされています。

八木節を広めた人物は誰ですか?

足利市では、堀込源太こと渡辺源太郎が八木節の元祖といわれています。歌に工夫を重ね、周辺地域へ広めた人物として紹介されています。

まとめ

ETV特集「俚謡山脈のDIGの細道 北関東編」で紹介される木崎音頭と八木節は、新保広大寺節が人の移動とともに関東へ伝わり、宿場町の暮らしの中で姿を変えて生まれた民謡です。

新保広大寺節が木崎宿で木崎節・木崎音頭として定着し、その流れを土台に堀込源太らが八木節を発展させたという系譜が、太田市・足利市・桐生市などの資料に残されています。

二つの民謡のルーツを知ってから番組を見ると、北関東の音楽が土地ごとに孤立しているのではなく、人と街道によってつながってきたことがよりはっきり見えてきます。

このテーマの関連記事はこちら