TV

  • HOME
  • ブログ
  • TV
  • 世界の何だコレ!?ミステリー11月4日|平将門の首塚と家康の江戸の秘密は?神田明神・鬼門の歴史|11/4 19:00

世界の何だコレ!?ミステリー11月4日|平将門の首塚と家康の江戸の秘密は?神田明神・鬼門の歴史|11/4 19:00

2026年11月4日(水)放送の「世界の何だコレ!?ミステリー」は、平将門の首塚に伝わる祟りの都市伝説と、徳川家康が江戸に仕掛けたとされる秘密に迫ります。

番組公式の次回案内では、東京・大手町に残る将門塚と、家康が江戸の町に隠したとされる仕掛けが取り上げられます。注目したいのは、将門の伝説だけでなく、神田明神が江戸城の表鬼門を守る場所へ移された歴史です。

世界の何だコレ!?ミステリー11月4日の放送日時と出演者

項目内容
放送日時2026年11月4日(水)19:00〜20:00
放送局フジテレビ/テレビ静岡
番組名世界の何だコレ!?ミステリー
MC蛍原徹、きゃりーぱみゅぱみゅ
ゲスト陣内智則、中西アルノ(乃木坂46)
VTR出演奥田修二(ガクテンソク)
今回のテーマ平将門の首塚の祟りと徳川家康が江戸に仕掛けた秘密

番組公式の次回案内によると、東京・大手町にある平将門の首塚をめぐる都市伝説を、ガクテンソクの奥田修二さんが調査します。将門の力を恐れるだけでなく、逆にその力を利用しようとした人物として徳川家康が登場する構成です。

MCは蛍原徹さんときゃりーぱみゅぱみゅさんです。

ゲストには陣内智則さんと乃木坂46の中西アルノさんが出演します。VTRでは、歴史や都市伝説に関心を寄せる奥田修二さんが、東京で語られる謎を追います。

蛍原徹さんの経歴や番組での役割は蛍原徹さんのプロフィールで、きゃりーぱみゅぱみゅさんの活動についてはきゃりーぱみゅぱみゅさんのプロフィールでも紹介しています。

平将門の首塚とは?大手町に残る伝説の場所

平将門の首塚、現在の呼び名では「将門塚」は、東京都千代田区大手町にある史跡です。高層ビルが立ち並ぶオフィス街の一角にあり、平安時代の武将・平将門の御首を祀る墳墓として伝えられています。

神田明神の公式案内によると、将門塚は将門の首を祀る墳墓であると同時に、神田明神が創建された場所でもあります。天慶の乱の後、将門の縁者たちがこの地に首を納め、墳墓を築いたとされています。

史蹟将門塚保存会の年表では、将門は940年に戦死し、4月25日に首が京都へ運ばれて東市でさらされた後、関係者によって神田明神の近くに埋葬されたと記されています。将門塚の由来を知るうえで、保存会が整理した年表は重要な手掛かりです。

平将門はどのような人物だった?

平将門は、平安時代中期に関東で勢力を広げた武将です。国文学研究資料館によると、軍記物語『将門記』は、935年から940年にかけて起きた承平・天慶の乱を題材に、将門と朝廷側との戦いを描いた作品です。

将門は939年に新皇を名乗り、関東の複数の国府を攻略しました。しかし、940年2月に平貞盛や藤原秀郷らの軍勢との戦いで敗れ、戦死します。

史蹟将門塚保存会の年表には、2月14日に北山で交戦し、神鏑に射られて戦死したと記録されています。

将門の首が京都でさらされた後、故郷の東国へ飛んで戻ったという話は、首塚にまつわる有名な伝説です。UR都市機構の大手町の歴史紹介でも、首が夜空に舞い上がり、各地に落ちたという伝承のうち、大手町がよく知られた場所として紹介されています。

ここで区別しておきたいのは、将門の乱や首の埋葬に関する年表上の記録と、首が空を飛んで戻ったという伝説は同じ種類の情報ではないという点です。番組の「祟り」というテーマも、歴史資料で確認できる出来事と、後世に語り継がれた伝承を分けて見ると、より理解しやすくなります。

2026年8月に何があった?首塚をめぐる騒動

番組の予告で触れられているのが、2026年8月に将門塚で起きた配信騒動です。ITmedia NEWSが産経新聞の報道として伝えたところによると、8月19日、動画配信者の男性が将門塚の石碑によじ登る様子をライブ配信し、その後、批判を受けてSNSで謝罪しました。

将門塚は、平将門を祀る場所として長く大切にされてきた史跡です。石碑に登る行為は、伝承への信仰の有無にかかわらず、史跡や慰霊の場所への敬意を欠くものとして問題になりました。

保存会側も警察に相談したと報道されています。

その数日後、関東では大雨や地震が発生しました。J-CASTニュースは、こうした出来事と配信騒動が重なったことで、SNS上に「将門の祟りではないか」と結び付ける声が出たと報じています。

ただし、天候や地震と将門塚での配信行為に因果関係があると示す科学的な根拠は確認されていません。出来事の時期が近かったことから生まれた噂と、実際の災害の原因は分けて考える必要があります。

今回の番組では、この騒動をきっかけに、なぜ将門塚が「祟り」の場所として語られてきたのか、そして家康が将門の信仰をどのように江戸の町づくりと結び付けたのかが調査の焦点になりそうです。

家康はなぜ神田明神を江戸城の表鬼門へ移した?

今回の放送で歴史的に注目したいのが、神田明神の遷座です。神田明神の公式サイトによると、神田明神は社伝では730年に現在の大手町・将門塚周辺に創建されました。

将門の霊は1309年に神田明神へ合祀されています。

徳川家康が関ヶ原の戦いに臨んだ1600年、神田明神では家康の戦勝祈願が行われたと公式サイトに記されています。家康が勝利した後、徳川将軍家は神田祭を縁起の良い祭礼として大切にし、神田明神を崇敬するようになりました。

さらに1616年、江戸城の拡張に伴って神田明神は現在の外神田の場所へ遷座しました。神田明神の公式説明では、移転先は江戸城の表鬼門を守護する場所にあたるとされています。

表鬼門とはどの方角?

鬼門は、古くから災いが入り込むと考えられてきた北東の方角を指します。反対側の南西は裏鬼門と呼ばれます。

神田明神は、江戸城の北東側を守る役割を担う場所に移されたという説明です。

東京都立中央図書館が所蔵する「御本丸方位絵図」は、国の重要文化財「江戸城造営関係資料」の一つです。図には江戸城を中心とした方位が示され、寺社や見附(門)が配置されています。

同館の解説では、北の鬼門に神田明神と寛永寺、南の裏鬼門に増上寺を配置して江戸城を守る考え方が示されています。

この絵図は、江戸城を守るために寺社を方位と結び付けて配置した考え方を知るうえで貴重な資料です。単なる都市伝説として語られる「江戸の結界」ではなく、江戸城造営に関する資料に方位と寺社の配置が記録されている点が重要です。

将門の信仰と家康の町づくりはどうつながる?

神田明神の公式な歴史説明では、家康の戦勝祈願と、1616年の表鬼門守護の場所への遷座が確認できます。また、平将門命は現在も神田明神の祭神の一柱として祀られています。

一方、「家康が将門の祟りの力を利用した」という表現は、番組の予告で示された調査テーマです。史料から確認できるのは、将門が神田明神に祀られていたこと、家康が神田明神を崇敬したこと、そして江戸城の表鬼門守護にあたる場所へ神社を移したことです。

この一連の事実をどのように結び付けて「将門の力を利用した」と見るのかが、今回の調査で注目される部分です。家康が具体的にどのような意図を持っていたのか、番組予告だけでは断定できません。

江戸の町にはほかにも方位を意識した寺社配置があった?

江戸城を守る寺社の配置は、神田明神だけで説明できるものではありません。東京都立中央図書館の方位絵図の解説では、北東側の神田明神と寛永寺、南西側の増上寺が挙げられています。

UR都市機構の大手町の歴史紹介では、江戸城の増築に伴って神田明神が現在の外神田へ移った経緯に加え、大手町周辺が江戸期には大名屋敷の並ぶ武家の町となり、明治以降は官庁街へ変化したことも紹介されています。現在の大手町の景観からは想像しにくいものの、首塚のある一角には古い江戸の歴史が重なっています。

千代田区文化財サイトも、神田明神を江戸東京の表鬼門・艮(北東)を守る江戸総鎮守として紹介しています。家康が関ヶ原の戦いの前に戦勝祈願を行ったことや、1616年に現在地へ遷座したことも記されています。

つまり、江戸の町づくりをめぐる「秘密」は、将門塚の祟り伝説だけではありません。神社や寺院を方角と結び付けて配置し、江戸城や町を守ろうとした思想が、歴史資料や寺社の由緒に残っていることも見逃せないポイントです。

将門塚と神田明神は現在どこにある?

将門塚は東京都千代田区大手町にあり、神田明神は千代田区外神田にあります。もともと同じ大手町周辺にあった神田明神は、江戸城の拡張に伴い1616年に現在の場所へ移りましたが、将門塚はそのまま旧跡として残されました。

神田明神の公式案内では、将門塚は神田明神の旧跡地であり、現在も将門公の御霊を慰める例祭が行われています。例祭は保存会関係者などが参列する神事で、一般の参列は案内されていません。

将門塚は慰霊の場所であり、東京都指定文化財の旧跡です。訪れる場合は、石碑や周囲の施設に触れたり、立ち入ったりせず、静かに見学することが大切です。

既存の将門関連記事と今回の違い

平将門と神田明神の関係は、キニナルでも過去に取り上げています。10月18日の「ガクテンソク奥田の歴史雑談」では、平将門と神田明神を中心に将門像をたどりました。

今回の「世界の何だコレ!?ミステリー」は、同じ将門伝説を扱いながらも、家康が江戸に仕掛けたとされる秘密と、神田明神の表鬼門への遷座に焦点を当てています。前の記事とあわせて読むと、将門の人物像や伝承から、江戸の町づくりへと視点を広げられます。

ガクテンソク奥田の歴史雑談「平将門がすごい編」10月18日放送内容

番組の過去回や基本情報は、世界の何だコレ!?ミステリーの番組まとめでも紹介しています。

前回10月28日の放送内容は?

前回の2026年10月28日放送は、フィリピンのシキホール島に暮らす魔術師たちを取材する2時間スペシャルでした。フジテレビの過去放送案内では、古くから受け継がれてきた魔術や、体の不調を癒やすとされる儀式、呪いを卵に移すという話などが紹介されています。

また、田中卓志さんが日本の謎を調査する企画では、大阪の伸ばすと柔らかくなる金属のような物体や、京都の上部が分断された鳥居も取り上げられました。海外の不思議な風習と国内の奇妙な現象を扱った前回に続き、11月4日は東京に残る歴史と都市伝説がテーマになります。

参考にした情報

よくある質問

11月4日の世界の何だコレ!?ミステリーは何時から?

2026年11月4日(水)19時から20時まで、フジテレビ系列で放送予定です。

平将門の首塚はどこにありますか?

東京都千代田区大手町にあります。現在は将門塚と呼ばれ、平将門の御首を祀る墳墓として伝えられています。

家康はなぜ神田明神を移したのですか?

神田明神の公式説明では、1616年に江戸城の表鬼門を守護する場所へ遷座したとされています。江戸城の方位を記した東京都立中央図書館所蔵の絵図にも、北東側の寺社配置が示されています。

将門塚の祟りは本当にあるのですか?

将門塚には祟りにまつわる伝説がありますが、2026年8月の配信騒動と、その後の大雨や地震に因果関係があると示す根拠は確認されていません。伝承と確認できる事実を分けて考える必要があります。

まとめ

2026年11月4日放送の「世界の何だコレ!?ミステリー」は、平将門の首塚に伝わる祟りの都市伝説と、徳川家康が江戸に仕掛けたとされる秘密を調査します。

歴史資料や神田明神の公式説明から確認できるのは、将門の霊が1309年に神田明神へ合祀されたこと、家康が1600年に戦勝祈願を行ったこと、そして神田明神が1616年に江戸城の表鬼門を守る場所へ移ったことです。東京都立中央図書館の方位絵図にも、江戸城の北東と南西に寺社を配置する考え方が残されています。

将門塚の祟りは伝承として語り継がれてきましたが、家康の町づくりに関しては、方位や寺社の配置を示す史料も存在します。伝説と歴史の接点を、奥田修二さんがどのように調査するのか注目したい回です。

このテーマの関連記事はこちら