偉人・敗北からの教訓9月12日|高杉晋作と奇兵隊の悲しい末路・脱隊事件を解説|9/12 21:00
2026年9月12日(土)21時からBS11で放送される「偉人・敗北からの教訓」第156回は、高杉晋作がテーマです。幕末の長州藩で奇兵隊を創設し、倒幕運動の先頭に立った人物が、なぜ自ら生み出した組織の「悲しい末路」を止められなかったのかを「敗北」の視点から掘り下げます。
高杉晋作は「奇兵隊を作った幕末のヒーロー」というイメージで語られがちですが、今回の番組が注目するのは成功だけではありません。高杉がどんな危機感から奇兵隊を構想したのか、本人の死後に組織がどう変化したのかを知ると、番組タイトルにある「悲しい末路」の意味が見えてきます。
9月12日の放送時間・出演者
| 番組名 | 偉人・敗北からの教訓 |
| 放送回 | 第156回 |
| テーマ | 高杉晋作・過激な倒幕運動を担う奇兵隊の創設と悲しい末路 |
| 放送日時 | 2026年9月12日(土)21:00~21:55 |
| 放送局 | BS11 |
| 解説 | 伊東潤(歴史作家) |
| 進行 | 中西悠理(キャスター) |
BS11公式は、高杉が1839年に萩で生まれ、明倫館や松下村塾で学び、上海渡航で欧米列強に支配される清の現実を目にしたこと、帰国後に英国公使館焼き討ちなどへ参加し、1863年に武士と庶民からなる混成部隊・奇兵隊を発案して総督となった流れを紹介しています。
高杉晋作はなぜ奇兵隊を作った?上海体験と長州の危機
萩博物館や山口県の公式資料では、高杉晋作は吉田松陰に学び、上海を視察したことで欧米列強の圧力を現実の危機として受け止めた人物とされています。長州藩が外国勢力との軍事衝突に直面する中、従来の身分制に縛られた藩兵だけでは対応できないという問題意識が、奇兵隊の構想につながりました。
奇兵隊の特徴は、武士だけに限定せず、志を持つ庶民も参加できる点にありました。山口県観光公式は「身分を問わない我が国初の軍事組織」と説明し、萩市観光協会も身分制度にとらわれない軍隊として紹介しています。社会の枠組みそのものを越えようとした組織だったからこそ、幕末の変革期には大きな力を発揮しました。
高杉の「成功」と「敗北」は表裏一体
高杉は長州藩が四国連合艦隊の攻撃を受けた際に講和交渉を担い、その後の藩内抗争では下関で挙兵。藩論を倒幕へ向ける原動力の一つになりました。萩市観光協会は、この下関での決起が「これなくして倒幕はなし得なかった」と評されるほど重要だったと紹介しています。
しかし、番組はその華々しい成功の裏側にある「自分が作った組織の未来を自分では最後まで制御できない」という敗北に目を向けます。高杉は1867年、結核で若くして死去。奇兵隊が明治政府成立後の新しい軍制とどう折り合うかという難題に直面する前に、この世を去りました。
奇兵隊の「悲しい末路」とは?解散と脱隊事件
山口県の公式観光情報によると、奇兵隊は1865年に拠点を吉田へ移し、1867年8月から1869年11月の解散まで吉田の陣屋を本陣として使いました。つまり、高杉晋作が1867年に亡くなった後も、奇兵隊はしばらく存続していました。
一方、山口市の十朋亭維新館は、明治2年(1869年)に奇兵隊など諸隊の解散を不服とする隊士の反乱「脱隊事件」が起きたことを紹介しています。幕末には身分を越えて戦力となった隊士たちが、新政府の常備軍編成では全員そのまま受け入れられたわけではありません。時代を変えるために生まれた組織が、時代が変わった後に居場所を失うという矛盾が「悲しい末路」の大きな背景です。
高杉はなぜ止められなかった?本人の死と時代の構造
番組タイトルの問いに対する最も基本的な答えは、高杉本人がその後の展開を見届ける前に亡くなっていたことです。下関市公式観光サイトの略年表では、高杉は1867年に病没。奇兵隊の解散や脱隊事件はその後の1869年以降に起きています。
ただし、番組のテーマは単なる「本人が亡くなっていたから」で終わらないでしょう。高杉が身分を越えた組織を作った革新性と、明治政府が近代国家として常備軍を整えようとした制度化の論理が衝突した点に注目すると、個人のカリスマだけでは解決できない構造的な問題が見えてきます。これこそ「敗北から教訓を探る」という番組らしい視点です。
関連情報・内部リンク
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高杉晋作の史料については萩博物館の常設展・高杉晋作資料室、奇兵隊結成から倒幕運動までの流れは山口県観光公式の高杉晋作特集でも確認できます。
よくある質問
9月12日の「偉人・敗北からの教訓」は何時から?
BS11で2026年9月12日(土)21時00分から21時55分まで放送予定です。
今回取り上げる偉人は誰?
長州藩士の高杉晋作です。第156回として、奇兵隊の創設とその後の悲しい末路を軸に高杉の敗北と教訓を読み解きます。
高杉晋作が奇兵隊を作ったのはいつ?
山口県・萩市などの公式資料では、1863年に下関で奇兵隊を結成したとされています。
奇兵隊は高杉晋作の死後どうなった?
高杉は1867年に病没しました。奇兵隊はその後も存続しましたが、公式観光資料では吉田の陣屋が1869年11月の解散まで使われたとされています。明治2年には諸隊解散をめぐる脱隊事件も起きました。
まとめ
9月12日の「偉人・敗北からの教訓」は、高杉晋作の奇兵隊創設と、その後に待っていた組織の悲しい末路を扱う第156回です。高杉は上海視察や長州藩の危機を背景に、身分を越えた奇兵隊を生み出し、倒幕へ向かう流れを大きく動かしました。
しかし高杉は1867年に病没し、奇兵隊はその後、近代国家の軍制再編という別の時代に直面します。1869年には解散をめぐる脱隊事件も発生しました。英雄の成功だけでなく、本人の死後に理念と制度がどう衝突したのかを見ることが、今回の番組から得られる最大の教訓です。

