日下武史は劇団四季の創立メンバー|浅利慶太との関係と1953年結成まで
俳優・日下武史さんを調べると、まず目に入るのが「劇団四季の創立メンバー」という経歴です。NHKアーカイブスの人物紹介でも、1931年生まれの東京都出身で、浅利慶太さんらとともに劇団四季を結成した人物として紹介されています。
では、日下武史さんはいつ、どのような流れで劇団四季の結成に加わったのでしょうか。劇団四季の公式追悼ページや新国立劇場の演劇史資料を手がかりに、学生時代から1953年の結成、1954年の旗揚げまでを整理します。
日下武史は劇団四季の創立メンバー
劇団四季公式によると、日下武史さんは慶應義塾高校在学中から浅利慶太さんらとともに劇作家・加藤道夫に師事し、その後、慶應義塾大学文学部仏文科在学中の1953年に仲間たちと劇団四季を結成しました。
新国立劇場の「日本演劇史」資料でも、1953年に慶應義塾大学文学部仏文科の学生だった浅利慶太さん、日下武史さんらを中心に学生演劇集団「四季」が結成されたと説明されています。戦後の新劇界の中で、フランス演劇を中心に上演する新しい学生演劇集団として出発した点が特徴でした。
浅利慶太との関係は高校時代から始まった
日下武史さんと浅利慶太さんの関係は、劇団結成の直前に突然始まったものではありません。劇団四季の追悼資料では、日下さんは慶應義塾高校で演劇活動を始め、後輩だった浅利さんを演劇部へ誘ったという経緯が紹介されています。
その後、大学でも演劇への関心を共有し、同時代の学生たちとともに新しい劇団を立ち上げました。つまり、日下さんは「後から参加した看板俳優」ではなく、劇団四季の出発点そのものに関わった人物です。
加藤道夫から受けた影響
劇団四季の初期を語るうえで重要なのが劇作家・加藤道夫の存在です。劇団四季公式では、日下さんや浅利さんが高校時代から加藤道夫に師事したことが記されています。
四季の旗揚げ公演となった『アルデール又は聖女』はジャン・アヌイの作品で、当時の四季はフランス現代劇を積極的に取り上げました。新国立劇場の資料でも、結成当初の四季がジャン・ジロドゥやジャン・アヌイなどの作品を上演したことが確認できます。
1954年の旗揚げ公演から第一線の俳優へ
劇団四季は1954年、『アルデール又は聖女』を旗揚げ公演として上演しました。日下武史さんはこの公演から舞台に立ち、その後も台詞劇からミュージカルまで幅広い作品に出演しています。
後年の代表作には『エクウス』『ヴェニスの商人』『鹿鳴館』『赤毛のアン』などがあり、2014年の『思い出を売る男』まで長く劇団の第一線で活動しました。創立時から晩年まで一つの劇団と歩み続けたことが、日下武史さんの俳優人生を特徴づけています。
日下武史と劇団四季についてよくある質問
日下武史は劇団四季をいつ結成した?
1953年です。慶應義塾大学文学部仏文科在学中に、浅利慶太さんらと劇団四季を結成しました。
日下武史と浅利慶太はどんな関係?
高校時代から演劇活動をともにした関係で、のちに劇団四季の創立メンバーとなりました。
劇団四季の旗揚げ公演は何?
1954年に上演された『アルデール又は聖女』です。日下武史さんも出演しました。
参考情報
NHKアーカイブス「日下武史|人物」、劇団四季「追悼 日下武史さん」、新国立劇場「日本演劇史」などを参照しました。
まとめ
日下武史さんは、浅利慶太さんらとともに1953年の劇団四季結成に参加した創立メンバーです。高校時代から演劇に親しみ、加藤道夫に学び、大学在学中に新しい演劇集団を立ち上げました。
1954年の旗揚げ公演から2014年の最後の舞台まで、約60年にわたり四季の舞台に立ち続けたことからも、日下武史さんは劇団四季の歴史を語るうえで欠かせない俳優の一人といえます。

