偉人・敗北からの教訓10月19日|九戸政実はなぜ秀吉に抗った?九戸城の戦いと教訓|10/19 20:00
2026年10月19日(月)20時からBS11で放送される「偉人・敗北からの教訓」は、戦国武将・九戸政実を取り上げます。豊臣秀吉の天下統一に最後まで抵抗したとされる政実は、なぜ大軍を相手に挙兵したのでしょうか。
番組表の案内によると、今回は小田原平定後に秀吉が進めた奥州仕置と、それに反発した政実の戦いをひもときます。約5,000の兵で九戸城に籠もった政実の敗北から、番組が掲げる教訓「固定観念は身を滅ぼす」へと迫る内容です。
偉人・敗北からの教訓10月19日の放送日時・出演者
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 放送日時 | 2026年10月19日(月)20:00〜20:53 |
| 放送局 | BS11イレブン |
| 番組名 | 偉人・敗北からの教訓 |
| 今回の人物 | 九戸政実 |
| 解説 | 伊東潤(歴史作家) |
| 進行 | 中西悠理(フリーアナウンサー) |
| ナレーター | 槇大輔 |
番組は、歴史上の人物が経験した敗北や失敗を、背景や要因、影響とともに読み解き、現代にも通じる教訓を探る歴史情報番組です。今回の題材は、天下人・豊臣秀吉の勢力に最後まで抵抗した陸奥の武将、九戸政実です。
九戸政実はどんな武将?
九戸政実は、1536年に生まれたと伝えられる戦国時代の武将です。岩手県九戸村や岩手県の紹介によると、九戸氏は南部氏と同族の一族で、政実は九戸氏の24代当主とされています。
九戸氏は現在の岩手県北部にあたる九戸郡周辺を地盤としていました。
政実は武将として勢力を広げ、南部家の一族として地域の政治や合戦に関わっていました。しかし南部家では、当主の交代をめぐって対立が起きます。
二戸市の公式説明では、南部晴政が1580年に亡くなった後、信直を支持する勢力と晴継を擁護する九戸一派が対立したとされています。晴継も若くして亡くなり、最終的に信直が南部家の当主となりました。
この対立は、地域内の家督争いだけでは終わりませんでした。秀吉が全国統一を進め、各地の大名や領主に服属を求めるなかで、南部家の後継問題と豊臣政権への対応が結びついていきます。
番組が扱うのは、地方の武将が天下人に対して戦いを挑んだ理由と、その決断が招いた結果です。
九戸政実はなぜ秀吉に抵抗した?
大きな背景にあるのが、1590年の小田原攻め後に秀吉が進めた奥州仕置です。秀吉は東北地方の領主たちに対して所領の安堵や変更などを進め、豊臣政権の支配を広げました。
九戸政実にとっては、南部家の内部事情だけでなく、地域の領主が持っていた権限や自治をめぐる問題でもありました。
番組表の説明では、政実は奥州仕置に反発し、1591年にわずかな兵を率いて蜂起したとされています。九戸村の公式紹介でも、政実は南部家の新しい当主・信直を認めず、約5,000人で挙兵したと説明されています。
信直への反旗は、信直を認めた秀吉の政権への抵抗にもつながりました。
ただし、政実の行動を単に「勝ち目のない無謀な戦い」と片づけると、当時の政治状況や地域の事情が見えにくくなります。番組では、圧倒的な戦力差があるにもかかわらず、なぜ政実が戦いを選んだのかを考察する点が見どころです。
具体的な心情や番組内の解釈は放送前には断定できませんが、自治体資料からも、南部家の家督争いと奥州仕置が戦いの重要な背景だったことが分かります。
九戸城の戦いはどうなった?
政実の挙兵に対し、豊臣方は大軍を送り込みました。今回の番組情報では秀吉が約6万の兵を派遣したと説明されています。
一方、岩手県や九戸村などの自治体資料では、南部軍を含めた討伐側の兵力を約6万5,000とする記述があります。出典によって兵数の示し方が異なるため、ここでは約6万から6万5,000規模の軍勢として整理します。
政実は九戸城に籠城し、数で大きく上回る討伐軍に抵抗しました。九戸城は馬淵川、猫淵川、白鳥川に三方を囲まれた場所に築かれた城で、岩手県の紹介では、1591年の奥州仕置によって落城した後、近世城郭へと改修され、福岡城と名を改めて南部氏の本城になったと説明されています。
攻める側は城を簡単には落とせず、政実側も籠城を続けました。しかし、最終的に政実は、降伏と引き換えに城兵の命を救うという和議を受け入れたと伝えられています。
九戸村の公式資料によると、長興寺の薩天和尚が仲介役となりました。
ところが、投降後に約束は守られず、城内の人々は殺害され、政実も処刑されました。岩手県と九戸村の資料は、降伏後の悲劇を九戸政実の戦いの重要な経過として紹介しています。
戦いの結末を知ると、単なる城攻めではなく、降伏の条件や当時の政治的な力関係まで考えさせられます。
九戸城跡や政実ゆかりの地はどこ?
九戸政実の足跡をたどる場所は、岩手県北部に残っています。岩手県の公式ページでは、九戸城跡のほか、九戸氏代々の菩提寺として知られる長興寺、政実公の首塚、九戸神社、二戸市シビックセンター、二戸市埋蔵文化財センターなどが紹介されています。
九戸城跡は、九戸氏の居城だった場所です。城が落ちた後には改修され、福岡城と呼ばれるようになりました。
現在も本丸には当時の石垣が残り、岩手県は東北最古級の石垣として案内しています。戦いの舞台となった城の地形や周辺の川を知ることで、籠城戦の様子を考える手がかりになります。
二戸市の公式案内によると、九戸城跡は1935年に国の史跡に指定されました。三方を川に囲まれた平山城で、指定地を含む範囲は約36万平方メートルとされます。
地形を生かした城の構造を知ることで、兵力で劣る政実が籠城を選んだ戦いの舞台を、より具体的に思い描けます。
長興寺は九戸氏代々の菩提寺として知られ、政実が出陣時に手植えしたと伝えられる大イチョウもあります。また、政実公の首塚は、処刑された政実の首級を家臣が密かに持ち帰って鎮めたと伝えられる場所です。
こうした史跡や伝承は、政実の戦いが地域の記憶に残り続けていることを示しています。
九戸村の紹介では、政実は現在も地域の歴史を語る存在として取り上げられています。戦いに敗れた人物であっても、地域の人々がどのように記憶し、語り継いできたかを知ることは、勝敗だけでは捉えきれない歴史の見方につながります。
今回の教訓「固定観念は身を滅ぼす」とは?
今回の番組が示す教訓は、敗北を結果だけで評価せず、選択の背景と当時の制約を合わせて考えることにあります。九戸政実の戦いは、天下統一の大きな流れと地域の側の事情が衝突した事例として捉えられます。
番組表で紹介されている今回の教訓は「固定観念は身を滅ぼす」です。政実の戦いは、圧倒的な兵力差がある相手に抵抗し、最終的に敗北した出来事として語られます。
しかし、結果だけを見て判断するのではなく、政実が置かれていた状況、守ろうとしたもの、選択肢の少なさを考えることが重要です。
一方で、信念を貫くことが常に最善の結果を生むわけでもありません。時代の変化や周囲の力関係をどう判断するか、譲れないものを守るためにどの方法を選ぶかという問題は、戦国時代に限らず現代にも通じます。
番組では、政実の敗北を通して、思い込みや過去の成功体験にとらわれる危うさをどのように読み解くのかが注目点です。
前回10月12日放送回は細川忠興がテーマ
前回の10月12日放送回では、細川忠興が長男・忠隆を廃嫡せざるを得なかった背景と、関ヶ原の戦い後の決断が取り上げられました。Gガイドの番組情報では、忠興が豊臣秀吉や徳川家康ら天下人に仕えた大名であり、家を守る判断と親子関係の葛藤が扱われています。
10月19日の九戸政実回は、家中の対立に加えて、豊臣政権による東北支配への抵抗と城をめぐる戦いが中心です。同じ「敗北から教訓を探る」番組でも、前回は家督と親子の問題、今回は地域の自治や天下統一の過程という違った角度から歴史を見られます。
前回の記事は「偉人・敗北からの教訓」細川忠興回の解説で紹介しています。
見逃し配信はある?
BS11の番組公式ページでは、放送終了後にTVerで1週間限定の見逃し配信を行い、過去の放送回はBS11+で配信すると案内しています。今回の九戸政実回も、放送後にTVerの配信対象として表示されるかを確認するとよいでしょう。
配信期間や視聴できる地域・環境などは、各サービスの番組ページで確認してください。
参考にした情報
- BS11「偉人・敗北からの教訓」公式サイト
- Gガイド番組表「九戸政実・秀吉の天下統一に最後まで抗った陸奥の勇将」
- 岩手県「九戸政実とは 豊臣秀吉天下統一最後の相手」
- 九戸村公式サイト「九戸政実」
- 二戸市公式サイト「九戸城跡」
- Gガイド番組表「細川忠興・長男を廃嫡せざるを得なかった大名茶人の苦悩」
よくある質問
九戸政実はいつ秀吉に抵抗しましたか?
九戸政実は1591年、豊臣政権による奥州仕置に反発して挙兵しました。九戸村の公式資料では、約5,000人で蜂起したと紹介されています。
九戸城の戦いで政実はどうなりましたか?
政実は九戸城に籠城して抵抗しましたが、城兵の命を救うという条件で降伏した後、約束は守られず、政実も処刑されたと自治体資料に記されています。
番組はどこで見逃し配信されますか?
BS11公式サイトでは、放送終了後のTVerでの1週間限定配信と、過去回のBS11+配信が案内されています。今回の回の配信状況は各サービスの番組ページで確認してください。
まとめ
10月19日放送の「偉人・敗北からの教訓」は、豊臣秀吉の天下統一に抵抗した九戸政実と、1591年の九戸城の戦いを取り上げます。南部家の家督争いと奥州仕置への反発を背景に挙兵した政実は、約5,000の兵で大軍に挑み、降伏後に悲劇的な最期を迎えました。
九戸城跡や長興寺など、政実ゆかりの場所は今も岩手県北部に残っています。勝敗だけではなく、政実が何を守ろうとし、どのような選択をしたのかを考えることで、番組が掲げる「固定観念は身を滅ぼす」という教訓をより深く受け止められそうです。

