花沢徳衛は画家でもあった!指物師から油彩へ進んだ若い頃と世田谷美術館の作品
花沢徳衛といえば、映画『警視庁物語』の林刑事やNHK『おはなはん』『ひらり』などで知られる名脇役です。しかし、俳優になる前から指物師として働き、さらに洋画家を志していたことはあまり知られていません。
世田谷美術館は花澤徳衛を「映画俳優で画家でもある」人物として紹介し、油彩作品を収蔵しています。俳優としての顔だけでなく、職人と画家という二つの背景を知ると、花沢徳衛の人物像が大きく広がります。
花沢徳衛は俳優になる前、指物師だった
花沢徳衛は1911年に東京で生まれ、小学校を5年で離れたのち、横浜で指物師として修業を重ねました。指物は、木材を精密に加工し、組み手を使って家具や箱物などを作る仕事です。
若い頃から手を動かして物を作る世界に入り、技術を身につけた花沢徳衛は、1932年に東京・渋谷で花澤美術家具研究所を設立しました。20歳前後で自ら工房を構えたことからも、俳優になる以前に職人として本格的に生きようとしていたことが分かります。
俳優の経歴から先に知った人には意外ですが、花沢徳衛の出発点は撮影所ではなく、木工と家具の現場でした。
家具職人から洋画家を志すようになったきっかけ
世田谷美術館の紹介によると、花澤徳衛は家具職人の仲間から油彩画の楽しさを教えられ、1933年には洋画家を志して大阪の画塾で学ぶようになりました。
人物事典でも、1933年から1936年ごろまで絵の勉強に打ち込んだ経歴が紹介されています。つまり俳優養成所に入る直前まで、本人の中心にあった夢は絵の世界だったことになります。
生活のために俳優の道へ進んだ後も、絵との関係が切れたわけではありません。むしろ俳優として長く活動しながら描き続け、後年には美術団体の会員として活動するほどの腕前になりました。
俳優になってからも絵を描き続けた
1936年、花沢徳衛は京都のJ.O.スタヂオ付属俳優養成所へ入り、翌年に映画デビューします。以後は俳優として忙しい生活が続きますが、絵は長く続けていました。
人物事典には、絵の腕が玄人の域に達し、第一美術会員だったと記されています。俳優の余技として時々描くというレベルではなく、継続的な創作活動として取り組んでいたことがうかがえます。
戦後には映画演劇関係者の仲間と絵画展を開いた形跡もあり、俳優仲間との交流の中でも美術が重要な位置を占めていました。
世田谷美術館に花澤徳衛の油彩作品が収蔵
世田谷美術館は、花澤徳衛の油彩画を新収蔵品として紹介しています。公開情報では、1995年制作の《すもう》や《不詳(自画像)》といった作品名が確認できます。
花沢徳衛は1944年の上京後から1990年ごろまで世田谷区内に居住していたとされ、美術館にとっても地域ゆかりの作家という側面があります。
とくに《すもう》という題材は興味深いものです。花沢徳衛は後年、NHK連続テレビ小説『ひらり』で、相撲文化と近い下町・両国の人物である深川金太郎を演じました。制作年が1995年であることから、俳優生活と絵画制作が晩年まで並行していたことが分かります。
指物師と画家の経験は俳優・花沢徳衛をどう見せる?
演技と木工、絵画は別の分野ですが、花沢徳衛の経歴を通して見ると共通点があります。どれも、手元や細部を積み上げて全体を作る仕事です。
花沢徳衛の芝居は、大げさな表情や派手な動きより、話し方、姿勢、間の取り方など細かな要素で人物を立ち上げるタイプでした。『警視庁物語』の林刑事や『おはなはん』の祖父役が印象に残るのも、人物の生活感を細部から作ったからでしょう。
もちろん職人経験や絵画経験が演技力に直接つながったと断定はできません。ただ、若い頃から「作ること」を続けてきた人物だったという事実は、花沢徳衛の俳優像を見るための重要な背景です。
よくある質問(FAQ)
花沢徳衛は本当に画家だった?
俳優活動と並行して油彩を描き続け、人物事典では第一美術会員だったとされています。世田谷美術館にも作品が収蔵されています。
花沢徳衛は俳優になる前に何をしていた?
横浜で指物師として修業し、1932年に花澤美術家具研究所を設立しました。その後、洋画家を志して絵を学びました。
世田谷美術館に花沢徳衛の作品はある?
あります。美術館の公開情報では、1995年の油彩《すもう》や《不詳(自画像)》などが紹介されています。
まとめ|花沢徳衛は俳優・職人・画家の三つの顔を持っていた
花沢徳衛は、若い頃に指物師として修業し、自ら家具工房を設立した後、洋画家を志して絵を学びました。その後に俳優へ転身してからも制作を続け、晩年には油彩作品を残しています。
世田谷美術館に作品が収蔵されていることからも、絵画が単なる趣味ではなく、長い人生を通じた創作活動だったことが分かります。花沢徳衛を名脇役としてだけでなく、職人と画家の感覚を持つ表現者として見ると、その人物像はさらに奥行きを増します。

