知恵泉「織田有楽斎」10月13日再放送|なぜ“逃げの有楽”は乱世を生き残れた?|10/13 22:00
10月13日(火)22時からNHK Eテレで放送される「先人たちの底力 知恵泉」は、織田信長の弟・織田有楽斎を取り上げる選放送です。
有楽斎は、信長の弟でありながら武勇のイメージだけで語られる人物ではありません。本能寺の変、小牧・長久手の戦い、大坂の陣という政権が大きく揺れる局面をくぐり抜け、晩年には茶の湯の世界で大きな足跡を残しました。
今回の見どころは、番組が掲げる「逃げるが“価値”」という視点です。戦場で正面から勝つことだけを成功とせず、退く、和睦する、立場を変えるという判断をどう生き残る力へ変えたのかを整理します。
知恵泉「織田有楽斎」10月13日の放送日時と出演者
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 放送日時 | 2026年10月13日(火)22:00〜22:45 |
| 放送局 | NHK Eテレ1・東京 |
| テーマ | 信長の弟 織田有楽斎 逃げるが“価値” そして静寂の境地へ |
| 出演 | 今村翔吾、吉井怜、天野忠幸、藤井彩子、谷口慎一郎 |
番組表では、有楽斎が苦戦の多い戦いのなかで、正面衝突を避け、逃げや和睦を選びながら織田の血脈を残す道を探った人物として紹介されています。
歴史小説・時代小説家の今村翔吾さんも出演します。今村さんは公式プロフィールで歴史を題材にした小説や評論活動を幅広く行っていることが紹介されており、歴史上の人物を現代の視点で読み解く今回の番組とも相性のよい出演者です。
織田有楽斎はなぜ「逃げの有楽」と呼ばれた?
有楽斎は織田信長の弟で、本名は長益とされています。信長の死後も豊臣秀吉、徳川家康の時代まで生き、戦国から江戸初期への大きな転換期を経験しました。
今回の番組で焦点になるのは、戦場での華々しい勝利よりも、危機の場面で生き延びる選択です。番組表の説明では、本能寺の変の際に有楽斎が脱出して岐阜へ帰還したこと、小牧・長久手の戦いでは講和工作に力を尽くしたことが挙げられています。
後世から見ると、戦国武将には「最後まで戦う」「主君に殉じる」といった物語が強く残りがちです。しかし有楽斎の歩みは、それとは異なる価値観を示します。命をつなぎ、家を残し、次の政治状況へ適応することも、乱世では重要な能力だったと考えられます。
番組タイトルにある「逃げるが“価値”」は、単純な臆病さではなく、勝てない局面で無理に戦わない冷静さを表す言葉として見ると理解しやすいでしょう。
本能寺の変では何が注目される?
1582年の本能寺の変は、織田信長が明智光秀の軍勢に襲われた大事件です。有楽斎は信長の弟という立場から、この政変と無関係ではいられませんでした。
今回の番組表では、有楽斎が本能寺の変の混乱を脱して岐阜へ戻ったことが紹介されています。この行動が後に「逃げ」の印象につながる一方、結果的には生き延び、その後の豊臣政権下でも活動する道を残しました。
ここで見たいのは、有楽斎が「逃げたか、戦ったか」という二択だけで評価されていない点です。誰に従い、いつ争いを避け、どの時点で次の権力者との関係を築くのか。変化の速い戦国末期には、判断を誤れば一族ごと立場を失う可能性がありました。
有楽斎は英雄的な一戦で名を上げるよりも、状況を読み続けることで生存の可能性を高めた人物として描かれます。
小牧・長久手から大坂の陣までの知恵
本能寺の変後、有楽斎は豊臣秀吉との関係を深めていきます。番組表では、小牧・長久手の戦いで講和工作に尽力したことが今回の重要な材料として示されています。
戦国の講和は、単に戦闘を終わらせるための話し合いではありません。双方の面子、領地、今後の主従関係まで含むため、交渉できる立場と人脈が必要です。有楽斎は織田家の血筋を持ちながら、秀吉側とも関係を築ける位置にいました。
その後は大坂城に入り、淀殿と豊臣秀頼を補佐します。大坂冬の陣では豊臣方と徳川方の和議に関わったと番組表に記されています。
ここでも一貫しているのは、徹底抗戦よりも「残る道」を探す姿勢です。戦う力だけでなく、争いを終える力を持つ人物として有楽斎を見ると、今回の番組テーマがぐっと分かりやすくなります。
武将だけではない織田有楽斎と茶の湯
有楽斎の後半生を語るうえで欠かせないのが茶人としての顔です。京都市公式の観光情報では、有楽斎は信長の死後に剃髪し、千利休に師事して茶道の宗匠となった人物として紹介されています。
晩年には京都の正伝院を再興し、茶の湯に親しむ生活を送りました。現在の正伝永源院には有楽斎に関する遺品が多く残り、墓も伝えられています。
戦場で生き残るために状況を読み続けた人物が、晩年には静かな茶の湯の世界へ向かったという流れは、今回の副題にある「そして静寂の境地へ」とも重なります。
武将としての評価だけを見ると「逃げた人物」という短い印象で終わりかねませんが、70年ほどの生涯を通して見ると、戦いから距離を取りながら文化の領域に自分の場所を築いた人物像が見えてきます。
国宝茶室「如庵」は織田有楽斎が残したもの
有楽斎の茶人としての足跡を現在に伝える代表的な存在が、愛知県犬山市の日本庭園・有楽苑にある国宝茶室「如庵」です。
犬山観光ナビによると、如庵は有楽斎が京都・建仁寺に創建した茶室で、現存する国宝茶席三名席の一つに数えられています。旧正伝院書院などとともに、有楽斎の美意識を今に伝える貴重な遺構です。
有楽斎と如庵の関係をさらに知りたい方は、村雨さんと日本庭園 有楽苑|露地と国宝茶室・如庵、織田有楽斎の仕掛けでも紹介しています。
番組で戦国期の判断力に興味を持ったあとに如庵を見ると、有楽斎が最終的にどんな空間を大切にしたのかまでつながって見えてきます。
前回(1月27日放送)の位置づけ
天理大学の公式発表では、歴史文化学科の天野忠幸教授が同じ「信長の弟 織田有楽斎 逃げるが“価値” そして静寂の境地へ」に取材協力し、2026年1月27日22時から放送されたことが案内されています。
10月13日の放送は「選」と付いているため、この回をあらためて見る機会と考えられます。前回を見逃した方にとっては、有楽斎の評価を「武功」だけでなく「生存」「交渉」「文化」の三つの面から見直せる内容です。
天野教授は織田・豊臣期の研究でも知られる研究者で、番組では有楽斎の政治的な立ち位置を理解する手がかりになるでしょう。
見どころは「勝つ」以外の選択肢
今回の放送で一番注目したいのは、戦国時代を生きた人物を「どれだけ勝ったか」だけで見ない点です。
有楽斎は本能寺の変を生き延び、秀吉の時代に適応し、大坂の陣でも和議へ動き、最終的には茶の湯へ軸足を移しました。ひとつの主君や戦場に運命を固定せず、その時々で生きる場所を選んだ人物です。
現代の感覚では「逃げる」は否定的に聞こえることがあります。しかし危険な状況から離れる、対立を収める、得意な分野へ移るという行動は、長い人生を守るための実践的な知恵にもなります。
番組では、そうした有楽斎の選択を、戦国史のエピソードと茶人としての後半生をつなげながら考える回になりそうです。
参考にした情報
- NHK Eテレ 10月13日番組表取得ページ
- 天理大学「天野忠幸教授が知恵泉 織田有楽斎回に出演」
- 犬山観光ナビ「日本庭園 有楽苑」
- 京都観光Navi「正伝永源院並びに織田有楽斎の墓」
- FIRST AGENT「今村翔吾 公式プロフィール」
よくある質問
知恵泉の織田有楽斎回はいつ放送されますか?
2026年10月13日(火)22時から22時45分まで、NHK Eテレ1・東京で放送予定です。
織田有楽斎は織田信長とどんな関係ですか?
織田有楽斎は織田信長の弟です。武将として戦国末期を生きただけでなく、晩年は茶人として活動し、国宝茶室「如庵」を残した人物としても知られます。
今回の知恵泉では何が取り上げられますか?
本能寺の変からの脱出、小牧・長久手での講和工作、大坂冬の陣での和議などを通して、有楽斎が正面衝突を避けながら生き残った判断力が取り上げられます。
まとめ
10月13日の「知恵泉」は、織田信長の弟・織田有楽斎を「逃げるが“価値”」という視点から見直す回です。
本能寺の変、小牧・長久手、大坂の陣で有楽斎が選んだのは、勝負を続けることだけではありませんでした。退く、和睦する、関係を結び直すという判断を重ねたからこそ、戦国から江戸初期まで生き抜くことができました。
さらに晩年は茶人として活動し、国宝茶室「如庵」にその美意識が残っています。武将の強さを戦闘力だけで測らず、危機をかわしながら自分の居場所を作る力として見ると、有楽斎という人物の魅力がより立体的に伝わる放送です。

