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ブラタモリ十勝|大規模農業を夢見た移住者を襲った苦難と暮らしの知恵【10月10日】|10/10 19:30

2026年10月10日(土)19時30分から放送される「ブラタモリ」北海道・十勝では、日本有数の農業王国がどのように生まれたのかを、移住者たちの挑戦からたどります。

予告には、「大規模農業を夢見て移住した人々を襲った数々の苦難、生活を支えた知恵」という気になる言葉があります。現在の十勝は広大な畑と機械化された農業で知られますが、その出発点は、原野を人の手で切り開くところから始まりました。

ここでは番組予告で確認できる内容と、帯広市や北海道の公的資料に残る開拓史をもとに、移住者が直面した苦難を整理します。番組で紹介される具体的な「知恵」については、放送前に公表されていない部分を推測せず、史料で確認できる範囲に限って紹介します。

ブラタモリ十勝10月10日の放送情報

項目内容
放送日時2026年10月10日(土)19:30〜20:07
放送局NHK総合
番組ブラタモリ「北海道・十勝▼なぜ農業王国に?食卓を支える大地の原点に迫る」
出演タモリ
アナウンサー佐藤茉那
語りあいみょん

Gガイドの番組情報では、十勝の広大な畑の始まりをたどり、移住者たちの挑戦に迫ることが告知されています。小麦、小豆、乳製品など全国屈指の生産量を誇る現在の姿からさかのぼり、「なぜ農業王国になれたのか」が旅のお題です。

十勝回全体の見どころをまとめて確認したい方は、ブラタモリ十勝10月10日放送のまとめも参考にしてください。

十勝の開拓は「わずか30人」から始まった?

番組予告には、果てしなく広がる畑の始まりが「わずか30人の挑戦だった?」という表現があります。

帯広市史によると、1883年4月、依田勉三ら13戸27人の晩成社の人々が横浜港を出発し、5月に現在の帯広にあたるオベリベリへ到着しました。その後、同じ年の秋に3人が加わっています。

この記録を見ると、番組の「30人」という表現が、晩成社の初期入植者を指している可能性を考えたくなります。ただし、予告だけで番組内の「30人」がどの時点の人数を指すかまでは断定できません。

人数の背景は別テーマとして整理できますが、この記事では「移住者の苦難と暮らし」に焦点を絞ります。

移住者を待っていたのは想像以上に厳しい開墾だった

十勝総合振興局は、十勝の開拓が他の北海道各地と違い、屯田兵ではなく民間の移住者が中心になって進んだことを特徴として挙げています。

初期の開拓では、農作物を植えられる畑が最初から用意されていたわけではありません。人力と馬の力を使い、原野を農地に変えるところから始める必要がありました。

帯広市史には、初期の移住者が川沿いの肥沃な土地に入ったものの、そこは大樹林に覆われ、伐木や枝払い、根株の除去から始めなければならなかったと記されています。手作業に頼る部分が多く、開墾はなかなか進みませんでした。

現在の十勝の畑を見ると、地平線まで続くような平坦な農地が印象的です。しかし、その景観は自然に存在したものではなく、森林や原野を切り開き、耕地へ変えてきた積み重ねの結果です。

洪水、冷害、害虫…農業以前に暮らしそのものが苦難だった

開墾だけが大変だったわけではありません。

帯広市史では、川沿いの土地が洪水の被害を受けやすかったこと、住居が草ぶきの小屋や掘っ立て小屋だったことが記されています。新しい土地へ移り住んでも、安定した住居や道路、農業施設が整っているわけではなく、生活環境そのものを作る必要がありました。

晩成社の人々は、本州とは異なる寒冷な気候にも直面しました。帯広市の資料では、入植1年目に将来を悲観して耕夫3戸が離れ、翌年には8戸ほどまで減少したとされています。

さらに北海道の公的資料には、開墾の辛苦に加えて流行病やイナゴの襲来などの災厄があったことも残されています。農業を始めればすぐ収穫できるという状況ではなく、生活を続けること自体が大きな課題でした。

番組予告の「数々の苦難」という言葉は、こうした開墾、気候、災害、住環境の厳しさを背景に見ると、より具体的に理解できます。

晩成社はどんな工夫を重ねたのか

帯広市史には、晩成社が事業の不振に直面しながらも、豚や山羊の飼育、耕馬の導入、澱粉の試作などを試みたことが記されています。

また後の時期には、農業技術者がプラウを使用し、ハム製造の指導にあたった記録もあります。単一の作物だけで成功を狙うのではなく、畜産や加工も含めてさまざまな方法を試していたことが分かります。

これらが今回の番組でいう「生活を支えた知恵」と同じものかは、放送前には確認できません。ただ、開拓者たちが環境に合わせて手段を変え、複数の仕事や技術を試していたことは史料から確かめられます。

現在の十勝農業が畑作だけでなく酪農・畜産も大きな柱としていることを考えると、初期の段階から作物以外の可能性を模索していた点は興味深いところです。

アイヌの人々の協力も開拓史の重要な一面

十勝の開拓を移住者だけの物語として見ると、歴史の重要な部分が抜け落ちます。

帯広市史は、晩成社入植当時、オベリベリ周辺にアイヌの人々が暮らしていたことを記しています。そして移民が続かない時期には、アイヌの人々が小屋づくり、新墾、再墾、播種、除草、収穫などの仕事に協力したとしています。

同じ資料は、一方で和人の入植がアイヌ民族の伝統的な狩猟・漁労・採集圏であるイオルの喪失につながったことも記しています。

十勝が農業地帯になっていく過程は、単純な成功物語ではありません。移住者の苦難だけでなく、それ以前からこの地で暮らしてきた人々との関係や、開発によって失われたものも含めて見る必要があります。

番組がどこまでこの部分に触れるかは予告では分かりませんが、「大地の原点」を考えるうえで外せない背景です。

大規模農業の夢と現実には大きな隔たりがあった

番組予告は「大規模農業を夢見て移住した人々」と表現しています。

帯広市史によると、晩成社は入植後に思うように開拓が進まず、事業は停滞しました。後には道庁の制度を利用した大規模な農場も生まれますが、小作農は借金、冷害、小作料の支払いなどに苦しみました。

つまり「大規模農業」は、広い土地を手に入れればすぐ実現するものではありませんでした。農地を開く労働力、寒冷地に合う作物、農具、家畜、交通、資金など、複数の条件を整える必要がありました。

十勝総合振興局の現在の資料では、十勝農業はその後、近代技術の導入や排水改良などの土地基盤整備を進め、日本最大級の食料供給基地へ発展したと説明されています。

今の大規模な景観は、初期の夢がそのまま実現したのではなく、長い時間をかけて失敗と改善を繰り返した結果と見ることができます。

福井を含む北陸からの移住者も十勝農業を支えた

晩成社だけで十勝の農業王国が完成したわけではありません。

帯広市史は、十勝農業の基盤が明治29年ごろからの富山・石川・福井の北陸3県と岐阜県からの入植によって形づくられたとしています。

今回の番組予告にも「福井の人たちとの意外なつながり」という一文があります。具体的な答えは放送前には明らかにされていませんが、十勝の開拓史に福井県出身者が登場すること自体は史料で確認できます。

福井との関係を分けて読みたい方は、ブラタモリ十勝と福井の意外なつながりの記事をご覧ください。

幸福駅も移住と開拓の歴史の中にある

10月10日回の予告には、1970年代に大ブームとなった幸福駅も登場します。

幸福駅は現在、帯広を代表する観光スポットとして知られていますが、駅がある大正地区は北陸からの移住者によって開拓が進められた地域です。鉄道の歴史だけでなく、周辺の農村形成まで視野を広げると、今回の「移住者」と「幸福駅」が同じ十勝の歴史の中に位置づけられていることが分かります。

幸福駅の誕生秘話を詳しく知りたい方は、ブラタモリ十勝・幸福駅の記事も参考にしてください。

タモリが見る「挫折の連続」の歴史

TV LIFE webは、十勝編についてタモリが、ほとんどが挫折の連続だったことや、人々が知恵を出し合って現在までつないだことへの驚きを語ったと報じています。

このコメントからも、番組が成功した結果だけではなく、その途中にあった失敗や試行錯誤を重視していることがうかがえます。

「ブラタモリ」は地形や町の成り立ちを、現地を歩きながら読み解く番組です。十勝回でも、広い畑という目に見える景観と、そこへ移り住んだ人々の歴史がどのように結びつくのかが大きな見どころになります。

出演者については、ブラタモリ十勝の出演者・キャスト記事へ。タモリ自身の経歴はタモリのプロフィールで紹介しています。

参考にした情報

よくある質問

ブラタモリ十勝で紹介される移住者は誰ですか?

予告では特定の人物名までは示されていません。帯広の本格的な開拓では1883年に依田勉三ら晩成社が入植し、その後、北陸3県や岐阜など各地からの移住者が開拓を進めました。

十勝の開拓ではどんな苦難がありましたか?

公的資料では、森林の伐採や根株除去などの重労働、洪水、寒冷な気候、粗末な住環境、冷害や害虫などが記録されています。入植後に離れる人もおり、定着までの道のりは厳しいものでした。

移住者の暮らしを支えた知恵とは何ですか?

番組で紹介される具体例は放送前には明らかではありません。歴史資料では、家畜の飼育、耕馬やプラウの利用、澱粉の試作、加工品づくりなど、環境に合わせてさまざまな方法を試したことが確認できます。

まとめ

10月10日放送の「ブラタモリ」北海道・十勝では、現在の農業王国ができるまでの過程を、大規模農業を夢見て移住した人々の苦難と工夫からたどります。

帯広の開拓は1883年の晩成社入植を大きな節目として始まりましたが、伐採や開墾、洪水、寒冷な気候、害虫、住環境など、移住者の前には多くの壁がありました。その後も北陸など各地から人々が入り、技術や土地改良を重ねながら農地が広がっていきます。

予告にある「生活を支えた知恵」の具体的な答えは放送前には公表されていません。だからこそ、確認できる開拓史を押さえておくと、番組で紹介される工夫がどの苦難への答えだったのかを理解しやすくなります。

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