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Tokyo Photo Library11月5日0時30分|有楽町・神田のレンガ高架はなぜ残る?明治の鉄道遺産を解説|11/5 0:30

2026年11月5日(木)午前0時30分から、TOKYO MX2で「Tokyo Photo Library」が放送されます。今回のテーマは「有楽町と神田、明治のレンガとガード下」です。

有楽町の高架下に続くレンガのアーチと、神田・万世橋周辺に残る赤レンガの高架橋。どちらも鉄道と街が重なる風景ですが、成り立ちや残されてきた経緯には違いがあります。

今回は、街の風景を支えてきた明治期の鉄道構造物に注目します。

Tokyo Photo Library11月5日の放送日時と内容

項目内容
番組名Tokyo Photo Library
放送日時2026年11月5日(木)0:30〜1:00
放送局TOKYO MX2
今回のテーマ有楽町と神田、明治のレンガとガード下
番組ジャンル趣味・教育

Gガイドの番組情報では、11月5日(木)午前0時30分から1時まで、TOKYO MX2で放送される内容として掲載されています。TOKYO MXの番組表でも、同じテーマが過去の放送枠に掲載されています。

番組タイトルにある「ガード下」は、鉄道の高架橋の下にできた空間を指します。線路を高い位置に通すことで道路や街の動線を確保し、その下に店舗や通路などが生まれてきました。

今回は、レンガの構造そのものと、そこに人の暮らしが重なってきた風景を見比べる回です。

有楽町のレンガ高架橋はなぜ造られた?

有楽町周辺のレンガ高架橋を理解するうえで重要なのが、鹿島建設が紹介する「東京市街線(新永間市街線高架橋)」です。鹿島建設の記録によると、この高架橋は日本初の鉄道高架橋で、明治44(1911)年に竣工した煉瓦アーチ式の構造が現在も都心に残っています。

2010年には土木学会選奨土木遺産に選ばれました。

都心の鉄道空白を埋めるための高架計画

明治時代の東京では、新橋駅が東海道線の起点、上野駅が東北方面へ向かう鉄道の起点となっていました。しかし、その間の都心部には鉄道が通っていない地域があり、新橋から上野までの移動には馬車鉄道や徒歩などが使われていました。

新橋と上野を結ぶ鉄道を市街地に通すには、道路や建物が密集する場所をどう通過するかが大きな課題でした。鹿島建設の資料では、街路との交差や用地買収の問題を踏まえ、高架線を設ける計画が進められた経緯が紹介されています。

なぜレンガのアーチ構造が選ばれた?

高架橋の構造は、煉瓦造と鋼鉄造の両方が検討されました。鹿島建設の記録によると、建設費や維持管理などを比較した結果、耐久性・耐震性を除く項目では煉瓦造が有利と判断されました。

連続するアーチ橋は、一か所が崩れると隣接部分にも影響が及ぶおそれがあります。そのため、3〜4径間ごとに大きな橋脚を設け、道路を横切る部分には鉄橋を使うなど、構造上の工夫も取り入れられました。

写真を見るときは、レンガが連続するアーチのリズムだけでなく、道路をまたぐ部分で構造が切り替わる点にも注目すると、単なる古い建物ではなく鉄道を支える土木構造物としての役割が見えてきます。

神田のレンガ高架橋と旧万世橋駅の歴史

神田側でレンガの高架橋を感じられる場所のひとつが、旧万世橋駅周辺です。現在の「マーチエキュート神田万世橋」は、中央線の神田〜御茶ノ水間にあった万世橋駅の遺構や赤レンガの高架橋を活用した施設です。

エキュートの公式案内によると、万世橋駅は1912(明治45)年に開業しました。中央線の昌平橋〜万世橋間が開通した際、万世橋駅は路面電車との乗り換えターミナルとして栄え、神田須田町周辺は銀座と並ぶほどのにぎわいを見せたと紹介されています。

万世橋駅は東京駅の開業後に中間駅へ

JR東日本の2012年の発表資料では、1919(大正8)年に中央線の万世橋〜神田〜東京間が開通し、万世橋駅は中間駅になったと整理されています。駅はその後、関東大震災による初代駅舎の焼失や交通博物館の併設などを経て、1943(昭和18)年に営業を休止しました。

駅としての役割は終わりましたが、赤レンガの高架橋や階段、ホームなどの遺構は残りました。現在は、かつてのホーム部分がデッキとして整備され、中央線の列車がすぐそばを通る風景を楽しめる空間になっています。

ガード下は現役の鉄道と街の記憶をつなぐ

JR東日本建築設計のプロジェクト紹介では、マーチエキュート神田万世橋について、今もJR中央線を支えるレンガ高架橋の内部空間や、旧ホームへ続いていた階段などの遺構を生かした施設と説明されています。

つまり神田のレンガ高架橋は、保存展示のためだけに残されたものではありません。現役の中央線を支える構造物でありながら、その内部には商業施設やカフェ、展望デッキが設けられています。

鉄道の機能と歴史的な空間の両方が、現在の街の中で共存しています。

有楽町と神田のレンガ高架は同じもの?

有楽町の東京市街線高架橋と、神田・旧万世橋駅周辺のレンガ高架橋は、どちらも明治期の鉄道整備と関係していますが、同じ橋梁ではありません。場所も建設の経緯も異なるため、写真で見比べるときは区別しておくと理解しやすくなります。

有楽町側では、新橋から東京駅方面へ向かう市街線の高架橋が街路と交差しながら続きます。鹿島建設の資料では、有楽町駅付近の工区に煉瓦造アーチ橋が含まれていたことや、明治43(1910)年に浜松町・烏森・有楽町を経て呉服橋仮停車場まで開通したことが紹介されています。

一方、神田側の旧万世橋駅は中央線の歴史と結びついています。JR東日本の資料では、中央線の万世橋〜神田〜東京間が1919年に開通したことが確認できます。

同じ赤レンガでも、どの路線を支え、どの駅の遺構と結びついているかを意識すると、街の見え方が変わります。

千代田区の町名由来板によると、万世橋周辺は江戸時代から神田川河岸の水運拠点でもありました。鉄道が通る以前から人や物が集まっていた場所に、橋や駅、高架橋が重なってきたことも、この地域の特徴です。

写真で注目したい3つのポイント

今回のテーマを写真で見るときは、次の3点を意識すると有楽町と神田の違いがつかみやすくなります。

連続するレンガアーチの形

有楽町側では、レンガのアーチが連続する高架橋の形に注目です。明治期に造られたアーチが現在の鉄道を支えていることを知ると、普段は通り過ぎてしまう高架下の壁面も、街の歴史を伝える構造物として見えてきます。

道路をまたぐ橋梁との切り替わり

高架橋はすべて同じ構造ではありません。鹿島建設の資料では、連続する煉瓦アーチの区間と、街路を横切る鉄橋が組み合わされていることが説明されています。

道路の上に架かる部分と、アーチが続く部分を見比べると、鉄道と道路を共存させるための設計が分かります。

旧万世橋駅の階段とホーム

神田側では、旧万世橋駅の階段やホームの遺構が残る空間に注目したいところです。エキュート公式サイトでは、1912階段や1935階段、旧ホーム部分を活用したデッキが紹介されています。

列車がすぐ横を走る現代の風景と、駅が使われていた時代の痕跡を一緒に見ることができます。

以前の放送テーマと街歩き記事

「有楽町と神田、明治のレンガとガード下」は、TOKYO MXの番組情報にも過去の放送テーマとして掲載されています。今回の回では、同じ題材を単に場所の紹介として見るだけでなく、明治期の高架化が必要になった背景や、レンガの構造物が現代の街で使われ続けている理由に注目すると、写真の意味がより伝わってきます。

有楽町の高架下を歩く場所や街並みの見どころは、Tokyo Photo Library有楽町と神田のレンガ高架・ガード下を歩く見どころでも紹介しています。今回は街歩きの案内とは異なり、建設史と現在の保存活用を中心に整理しました。

参考にした情報

よくある質問

Tokyo Photo Libraryは11月5日の何時から放送されますか?

2026年11月5日(木)午前0時30分から1時まで、TOKYO MX2で放送されます。

今回のテーマは何ですか?

「有楽町と神田、明治のレンガとガード下」です。明治期のレンガ高架橋や、現在も残るガード下の風景が題材です。

神田のレンガ高架橋は現在も使われていますか?

はい。神田・旧万世橋駅周辺のレンガ高架橋は、現在もJR中央線を支える構造物として使われ、内部の一部はマーチエキュート神田万世橋として活用されています。

まとめ

11月5日(木)午前0時30分からTOKYO MX2で放送される「Tokyo Photo Library」は、有楽町と神田に残る明治のレンガとガード下を取り上げます。有楽町側では1911年竣工の東京市街線高架橋、神田側では旧万世橋駅の赤レンガ高架橋が、鉄道と街の歴史を伝えています。

同じレンガの高架橋でも、造られた背景や結びつく路線、現在の使われ方は異なります。連続するアーチや道路をまたぐ橋梁、旧駅の階段やホームに目を向けると、いつもの街の風景に残る明治の鉄道遺産をより深く味わえます。

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