TV

  • HOME
  • ブログ
  • TV
  • 気になる家「北千住の江戸屋敷」は冨澤家住宅主屋|2度の移築と170年超の歴史を解説|11/3 6:20

気になる家「北千住の江戸屋敷」は冨澤家住宅主屋|2度の移築と170年超の歴史を解説|11/3 6:20

11月3日(火)朝6時20分からNHK総合で放送される「気になる家(7)流れ流れて江戸屋敷 東京・北千住」には、北千住の住宅街に残る冨澤家住宅主屋が登場します。

見た目はお侍さんが現れそうな古い屋敷ですが、この家の魅力は外観だけではありません。江戸末期から地震や洪水、都市の治水工事を乗り越え、2度の移築を経て今の場所に残ったという、家そのものの長い旅が大きなテーマです。

気になる家(7)の放送日時と出演者

項目内容
放送日時2026年11月3日(火)6:20〜6:49
放送局NHK総合1・東京
番組気になる家(7)流れ流れて江戸屋敷 東京・北千住
語り石丸謙二郎、森田茉里恵
登場する家冨澤家住宅主屋
所在地東京都足立区柳原一丁目

番組表では、北千住の住宅街に木造・瓦屋根のお屋敷が突然現れ、軒下から外へ斜めに延びる太い柱、庭のお稲荷さん、囲炉裏、階段タンスなどが紹介されるとされています。

家は単に保存されている建物ではなく、今も人が暮らす気配がある住まいです。番組では、建物の特徴だけでなく、そこに暮らしてきた家族と地域の物語まで掘り下げます。

北千住の江戸屋敷はどこ?冨澤家住宅主屋とは

番組に登場するのは、東京都足立区柳原にある冨澤家住宅主屋です。文化遺産オンラインでは、所在地を足立区柳原一丁目21-2とし、木造平屋一部2階建て、瓦葺きの住宅として登録しています。

足立区の公式ページでも、冨澤家住宅主屋が2024年3月6日に国登録有形文化財となったことが案内されています。地域に残る古い家というだけではなく、歴史的景観を形づくる建築として公的に評価された建物です。

文化遺産オンラインの説明によると、建物は荒川右岸の柳原にあり、南北棟の主屋に北西側の増築棟が付く形です。内部には土間、座敷、庭に面した縁などがあり、正面には格子構えも残っています。

この家はなぜ「流れ流れて江戸屋敷」なの?

番組タイトルの「流れ流れて」は、この家が一つの土地に建ち続けてきたわけではないことを表しています。放送内容の記録によると、冨澤家は江戸時代末期にこの家を購入し、その後2度解体して移築しました。

最初から北千住にあったわけではありません。家がもともと建っていたのは浅草・橋場とされ、冨澤家に伝わる話では、江戸の風情を望める場所にあったといいます。

あだち観光ネットも、冨澤邸について「江戸時代に浅草・橋場に建てられ、かつては旗本の下屋敷だった建物が2度の移築を経て今にいたると語り継がれている」と紹介しています。

1855年の安政の大地震が家購入のきっかけ

放送内容の記録では、1855年の安政の大地震で当時の冨澤家の家が壊れたことが大きな転機として語られています。12代目の冨澤幸助が別の家を購入し、その建物を解体して自分の土地へ移しました。

購入したのは土地ではなく建物部分だったとされ、古い家をばらして運び、別の場所で組み直すという大仕事でした。今の感覚では驚きますが、木造建築だからこそ可能だった移築の歴史が、この家の大きな特徴です。

最初の移築先は小谷野村

最初の移築先は小谷野村でした。しかし、その場所は現在の荒川の流路にあたると番組では紹介されています。

この地域は水害に悩まされ、明治時代にもたびたび洪水が起きました。やがて大規模な治水工事が進められ、荒川の開削に伴って多くの世帯が移転を迫られます。冨澤家もその対象となり、再び家を移すことになりました。

2度目の移築で現在の足立区柳原へ

大正時代の初めごろ、冨澤家は現在の北千住近く、足立区柳原へ移ってきたとされています。これが2度目の大きな移築です。

文化遺産オンラインでは現在の主屋を大正期、1912年から1918年ごろの建築として登録しています。これは移築後の現在地での建物としての年代を示すもので、江戸期の部材や家の伝承と、現在地での建築履歴が重なっていることが分かります。

関東大震災も乗り越えた「地震柱」とは

現在地へ移った後も、この家には大きな試練がありました。1923年の関東大震災です。

放送内容では、震災時に家が半分に割れたと伝えられ、建物には「地震柱」と呼ばれる柱が残っていると紹介されました。長い歴史を持つ家が、修理されながら今まで使われ続けてきたことを象徴する部分です。

古民家番組では美しい意匠に目が向きがちですが、この家の場合は「壊れなかった家」ではなく、壊れたり移されたりしながら暮らしの場として受け継がれてきた家である点が重要です。

家に人が集まった理由は箕輪囃子とお稲荷さん

番組では、冨澤家住宅主屋が家族だけの閉じた空間ではなく、地域の人が集う場所だったことも描かれます。

家の庭にはお稲荷さんがあり、冨澤家では箕輪囃子を演奏して奉納していたとされています。15代目の冨澤孝之さんは地域活動にも関わり、お囃子の日には家を近所の人に開放し、地域の伝統をつなぐ役割も担っていました。

「お囃子が鳴り響き、人々が集った家」という番組紹介の言葉は、単なる雰囲気の説明ではありません。家が地域文化の舞台として使われてきた歴史そのものを表しています。

冨澤家住宅主屋が国登録有形文化財になった理由

冨澤家住宅主屋は、足立区の公式案内で2024年3月に国登録有形文化財へ登録されたことが確認できます。

文化遺産オンラインでは、土間や座敷、縁、格子構えなどの構成に触れたうえで、地域の歴史的景観を形成する建物と評価しています。豪華な城や大名屋敷ではなく、地域に根づいた住宅が残っていることに価値があります。

また、あだち観光ネットでは登録を記念した小さなお茶会が冨澤邸で開催され、家に住む冨澤八重子さんの話を聞きながら建物を見学する企画も紹介されました。今も生活と文化活動が続く家であることが分かります。

前回10月27日放送では何が紹介された?

この「流れ流れて江戸屋敷 東京・北千住」は、10月27日夜にもNHK総合で放送されています。11月3日朝の放送は再放送にあたります。

10月27日の放送内容では、家主の冨澤さん、家を調査した学芸員や建築士が登場し、古文書や建物の構造を手がかりに歴史をひもときました。安政の大地震、最初の移築、荒川の治水工事による再移転、関東大震災、地域のお囃子、文化財登録までが一つの家の物語としてつながっています。

初回を見逃した方にとって、11月3日朝6時20分からの放送は、北千住に残る一軒の家から東京の近代史をたどる機会になります。

参考にした情報

よくある質問

気になる家に出る北千住の江戸屋敷はどこですか?

東京都足立区柳原にある冨澤家住宅主屋です。文化遺産オンラインでは所在地を足立区柳原一丁目21-2としています。

冨澤家住宅主屋はなぜ2度移築されたのですか?

最初は安政の大地震後に浅草・橋場から小谷野村へ移され、その後は荒川の治水工事に伴う移転で現在の足立区柳原へ移ったと紹介されています。

冨澤家住宅主屋は文化財ですか?

はい。足立区の公式情報では、2024年3月6日に国登録有形文化財として登録されています。

まとめ

「気になる家(7)流れ流れて江戸屋敷 東京・北千住」に登場するのは、足立区柳原の冨澤家住宅主屋です。

この家は江戸末期からの伝承を持ち、浅草・橋場から小谷野村、そして現在の柳原へと2度移築されました。安政の大地震、荒川の治水工事、関東大震災を乗り越え、地域のお囃子や人々の集まりを支え、2024年には国登録有形文化財となっています。

11月3日朝6時20分からの放送では、古い家の姿だけでなく、一軒の住宅が東京の災害史や地域の暮らしをどう受け止めてきたのかという長い時間の積み重ねに注目すると、より深く楽しめます。

このテーマの関連記事はこちら